『1ヴィッツ』から『1自由』へ。お金持ちとは何か

2000年1月、私は「1ヴィッツ」という新しい貨幣単位を提唱した。

1ヴィッツ ≒ 150万円。1焼肉 ≒ 5,000円。1ハワイ ≒ 30万円。さらに、1ベンツ ≒ 1,000万円。

要するに、お金の価値を円やドルという無味乾燥な数字ではなく、具体的に何が買えるかという自分なりの物差しで測ろうという発想である。

あれから四半世紀以上が経った。

最近になって、そもそも「お金持ち」とは何なのか、改めて考えるようになった。どうも、何億円持っているというだけでは、お金持ちの本質を説明できないように思う。

1億円とは、何ができるお金なのか

例えば、手元に自由に使える1億円があるとしよう。

1億円という数字は大きい。しかし、これを1,000万円の札束が10個あると考えると、もう少し具体的になる。

1,000万円の新しい事業に10回挑戦できる。年間500万円で暮らせば20年間働かなくてよい。年間1,000万円の豪遊なら10年間である。

人を雇うという考え方もある。

日本で1人を雇うための総人件費を、社会保険料なども含めて年間600万円と仮定すれば、1億円で延べ16.7人年の労働力を確保できる。

つまり、1人なら約16年、5人なら約3年である。

極端な話、男なら酒池肉林の生活を送りたいと思う人もいるかもしれない。パートナーの生活を1人あたり年間500万円支えるとすれば、何人と何年間そんな生活を続けられるかも計算できる。もっとも、お金で買えるのは生活の費用負担までであって、相手の気持ちや愛情まで買えるわけではない。

こう考えると、1億円というのは単なる金額ではない。

時間、人手、経験、そして挑戦できる回数を表す数字なのである。

しかし、ここで一つ問題がある。

これらはすべて、使えばなくなってしまうお金の話なのだ。

本当のお金持ちは、使っても減らない?

1億円を持っていても、年間1,000万円ずつ使えば10年間でなくなる。

その10年間は自由に暮らせるかもしれない。しかし11年目からはどうするのか。

そこで、お金持ちの定義を少し変えてみたい。

本当の経済的自由とは、その自由を享受してもなお、自由を生み出す資産が維持される状態ではないだろうか。

例えばアメリカで100万ドル($1MM)の金融資産を保有していたとしよう。

2026年10月23日時点の米国1年物国債の指標利回りは4.44%だった。単純計算では100万ドルで年間44,400ドルの税引前収益に相当する。

何もしなくても、それなりの収入が発生する。これだけあれば、住む場所や生活水準によっては基本的な生活を賄えるかもしれない。

ただし、ここに落とし穴がある。

金利は変動するし、税金も取られる。さらに、インフレによってお金の購買力は目減りする。

100万ドルを維持できたとしても、20年後の100万ドルで今日と同じ生活ができるとは限らない。

つまり、元本の金額を維持することと、元本が生み出す自由を維持することは違うのである。

だから, 得られた利息や運用益をすべて使ってしまうのではなく、その一部を再投資するなど、将来の購買力を守る必要がある。

新しい貨幣単位「1自由」

そこで、かつての1ヴィッツに続く新しい単位を考えてみた。

1自由(いちじゆう)= 100万ドルの運用資産から、毎年25,000ドルの支出予算を得られる能力

資産の2.5%を毎年使うという仮定である。

もちろん2.5%は保証された運用利回りではない。税金やインフレ、相場の変動もあり、実際に資産の購買力を永続的に維持できるとは限らない。しかし、自由の量を考えるための仮の物差しとしては使いやすい。

この単位を使うと、資産額は次のように表現できる。

運用資産 自由単位 年間支出予算(税引前)
$1MM 1自由 $25,000
$3MM 3自由 $75,000
$5MM 5自由 $125,000
$10MM 10自由 $250,000
$30MM 30自由 $750,000
$100MM 100自由 $2,500,000

資産の多寡そのものより、資産から毎年どれだけの予算を生み出せるかに注目するわけだ。

なお、ここでいう資産は、主として収益を生み出す運用可能な金融資産を想定している。自宅が数百万ドルの評価額になっていたとしても、それだけで自由に使える現金が生まれるわけではない。

自由にもメニューがある

ここからが面白い。

自由を単位で表せるなら、逆に、どのような自由が何単位で買えるかも計算できる。

例えば、アメリカでの生活を想定して、こんなメニューができる。

  • 年間5万ドルの基本生活費:2自由

  • 年間10万ドルの余裕ある生活費:4自由

  • 毎年3万ドルの海外旅行や趣味:1.2自由

  • 毎年5万ドルの豪遊・交際費:2自由

  • 年間15万ドルで人を1人雇う:6自由

  • 年間26万ドルで高度な技術者を1人雇う:10.4自由

  • 年間10万ドルを自分の事業や研究に投じる:4自由

もちろん、これらは例示した年間費用を2.5%で割っただけの計算である。税負担や予備費は別途考える必要がある。

例えば、運用資産が1,000万ドル、つまり10自由ある人を考えてみよう。

年間10万ドルの生活費に4自由を使うと、残りは6自由。

その6自由で、毎年5万ドルを旅行や遊びに使い、さらに年間10万ドルを新しい事業や研究に投じることができる計算になる。

生活するために必要なお金を資産が生み出し、なおかつ自分の好きなことを続けるための余剰がある。

これこそが、お金持ちの面白さではないだろうか。

逆に、同じ1,000万ドルを持っていても、生活費だけで毎年25万ドルを使ってしまう人には、余剰の自由がない。

同じ10自由を持つ人でも、生活のために10自由すべてを使う人と、4自由で暮らして6自由を好きに使える人では、お金持ちとしての意味がまったく違う。

ところで、FIREにはいくら必要なのか?

ここまで考えて、最近よく耳にする「FIRE」という言葉について考えてみたくなった。

FIREとは、Financial Independence, Retire Earlyの略である。経済的に自立し、早期にリタイアするという考え方だ。

Xなどを見ていると、「3,000万円貯めてFIREしました」「5,000万円で会社を辞めました」という人を見かける。

そのたびに思う。

それ、本当に足りるのだろうか?

もちろん、生活費を極端に切り詰めれば、数千万円でも働かずに暮らすことは可能だろう。持ち家があり、独身で、趣味にもあまりお金を使わないなら、必要な生活費は相当に少なくできる。

しかし、それは自分が考えている経済的自由とは少し違うように思う。

ここでいう「真のFIRE」を、働かずに普通の生活を続けられ、しかも自由を生み出す資産の購買力を長期的に維持することを目指す状態、と定義してみたい。

別に高級車を買う必要もない。毎年海外旅行に行く必要もない。普通のサラリーマンが送っている生活を、そのまま続けられればよい。

では、そのために一体いくら必要なのだろうか。

日本の普通の生活には、年間いくら必要か

総務省の家計調査によると、2025年の日本の2人以上の勤労者世帯における平均消費支出は、月額346,297円だった。

年間にすると約416万円である。

また、単身の勤労者世帯では月額約19.15万円、年間約230万円となっている。

これが一つの基準になりそうだ。

ただし、家計調査の消費支出には税金や社会保険料が含まれない。また、持ち家の多い世帯の平均であるため、住宅ローンの返済や賃貸住宅の費用を含め、自分の実際の住居費を別途確認する必要がある。

特に早期退職すると、それまで会社が負担していた社会保険の一部も自分で負担することになる。

例えば、2026年度の国民年金保険料は月額17,920円。夫婦ともに対象なら、それだけで年間約43万円になる。さらに国民健康保険料なども考えなければならない。

そこで、普通のサラリーマン家庭の生活を維持するための総予算として、年間500万円を仮定してみよう。

贅沢な生活を想定しているわけではない。

問題は、この500万円をどうやって生み出すかである。

FIREの4%ルールには落とし穴がある

FIREの世界では「4%ルール」という考え方がよく使われる。

運用資産の4%を初年度に取り崩し、その後は支出額をインフレに応じて調整するという考え方である。単純に毎年の資産残高の4%を使うという意味ではない。

例えば1億円なら、初年度400万円を使う計算になる。

これなら何となく生活できそうに思える。

しかし、そもそも4%ルールは、毎年4%を使っても元本の実質価値が永遠に維持できるという理論ではない。

アメリカの過去の市場データや将来の運用想定を使い、30年程度の引退生活で資産が枯渇しないかを検討する考え方である。

Morningstarの2025年の分析では、30年間の引退生活で資金が残る確率を90%とする場合、インフレ調整後の一定支出に対する初年度引出率の目安は3.9%だった。40年間に延ばすと3.3%まで下がる。

つまり, 40代でFIREして、その後40年、50年と生きる人にとって、4%で十分とは限らない。

まして、私が考えている「使っても自由を生み出す資産が維持される状態」とは、そもそも目標が違うのである。

では、必要な資産はいくらになるのか

ここで、日本円でも年間支出率2.5%という仮定を使ってみる。

計算式は単純である。

必要な運用資産 = 年間支出額 ÷ 支出率

年間の生活予算を変えながら計算すると、次のようになる。

年間生活予算 4%で計算 2.5%で計算
300万円 7,500万円 1億2,000万円
420万円 1億500万円 1億6,800万円
500万円 1億2,500万円 2億円
600万円 1億5,000万円 2億4,000万円

2.5%でも資産の実質価値が維持される保証はないが、長期的な自由を考えるための慎重な比較基準として使う。

ここで注目したいのは、日本の平均的な勤労者世帯の消費支出だけでも、2.5%の計算では1億6,000万円以上必要になるということだ。

そして税金、社会保険料、突発的な支出などを考えて年間500万円の予算を確保しようとすると、必要な運用資産は2億円になる。

2億円。

高級車も別荘も必要ない。普通のサラリーマンの生活を続けるための数字である。

では、1億円だったらどうなるか。

1億円の2.5%は年間250万円。月額にすると約20万8,000円である。

単身者なら生活費だけは何とか賄えるかもしれない。しかし、税金や社会保険料、予備費まで考えると、決して余裕があるとは言えない。

まして家族がいる場合、月20万円程度で普通のサラリーマン家庭と同じ生活を維持するのは難しい。

5,000万円なら年間125万円。月額約10万4,000円。

3,000万円なら年間75万円。月額6万2,500円である。

こうして数字にすると、数千万円でFIREするという話が、どのような生活水準を前提にしているのかが見えてくる。

もちろん、年間100万円程度で生活できる人もいるだろうし、退職後も多少の仕事を続ける人もいる。65歳以降に公的年金を受給できれば、必要な運用資産はそれだけ少なくなる。

したがって、数千万円でFIREした人が間違っているわけではない。

ただし、その人のFIREと、自分が考える「真のFIRE」は別物なのだ。

生活費を極端に抑えるLean FIRE、副収入を得るSide FIRE、完全に労働収入をなくすFIREでは、必要な資産が違う。

そして、元本を取り崩しながら一生を終えることと、元本の購買力を維持しながら生活することも違う。どちらが正しいというよりも、何を達成すれば経済的に自由だと考えるのか、という定義の問題なのである。

2億円あれば本当に安心なのか

では、2億円あれば一生安心なのだろうか。

残念ながら、そうとも言い切れない。

相場は下落する。物価は上昇する。病気になるかもしれないし、家族の事情も変わる。40年後, 50年後の経済状況など誰にもわからない。

特にFIRE直後に株価が大きく下落した場合、資産を取り崩すことによって、その後の資産回復が難しくなることもある。

だから, 2.5%という数字にも保証はない。固定した支出率だけで実質元本の永久維持を約束することはできない。

必要に応じて支出を調整したり、現金などの予備資金を持ったりすることも必要になる。

それでも、生活費を資産が生み出す収益や支出可能額で賄い、資産そのものの購買力を維持することを目指す、という考え方には意味がある。

真のFIREとは、単に仕事を辞められることではなく、仕事に戻らなければならないという経済的な不安から解放されることなのだと思う。

そして、ここでさらに重要なのは、FIREするだけなら生活費を賄えばよいが、積極的な経済的自由を手に入れるには、その上に余剰が必要だということである。

年間500万円を生み出すために2億円の資産を必要とするなら、2億円はゴールではなく、自由を得るための出発点なのかもしれない。

「働かなくてよい」と「好きなことができる」は違う

こうして考えると、経済的自由にはいくつかの段階がある。

第一段階は「経済的自立」。

資産から得られる収入や支出可能額で、基本的な生活を維持できる状態である。働く必要がなくなるという意味では、これだけでも大きな自由だ。

第二段階は「経済的自由」。

生活費を賄ったうえで、好きな旅行に行ったり、趣味に没頭したり、新しい事業に挑戦したりできる状態である。

そして第三段階は「経済的影響力」。

自分の時間だけでなく、他人の時間や能力も活用できる状態だ。

優秀な技術者を雇い、研究チームを作り、世の中にないサービスを開発する。自分一人ではできなかったことを、資本によって実現する。

この段階になると、お金は単に自分を楽しませるためのものではなく、自分の意思を現実の世界に反映するための道具になる。

もちろん, 資本があれば何でもできるわけではない。人の能力や信頼、創造性までお金だけで手に入るわけではない。

しかし、それらを活用するための選択肢が増えることは間違いない。

では、何自由あればお金持ちなのか

これには絶対的な正解がない。

年間5万ドルで十分に幸せに暮らせる人なら、3自由もあれば生活費を賄ってなお余裕があるかもしれない。

一方, シリコンバレーで高額な住宅費を負担し、毎年何十万ドルも必要とする人なら、10自由でも物足りないかもしれない。

つまり、「お金持ち」を資産の絶対額だけで決めることはできない。

必要な生活費を何自由で賄えるか、そして、その後に何自由残るかが重要なのだ。

私はこの残りを、「余剰自由」と呼びたい。

余剰自由がゼロなら、経済的には自立しているが、自由に使える余力はほとんどない。

余剰自由が大きくなるほど、働き方、暮らし方、人との関わり方、挑戦する事業などについて、自分自身の意思で決められる範囲が広がっていく。

資産を維持するための再投資や税金、予備費を差し引いた後で、どれだけ余剰自由が残るか。それが本当に大切なのだろう。

お金とは、人生に対する裁量権なのかもしれない

結局、お金持ちとは何なのか。

高級車に乗っている人でも、高級住宅に住んでいる人でも、毎年何千万円も使う人でもない。

生活するために必要な資産を確保したうえで、なお、自分の意思で自由に使える経済力を持つ人。

それが私なりの定義である。

2000年に考えた「1ヴィッツ」は、商品の価格を自分の物差しで測るための単位だった。

今回考えた「1自由」は、人生の自由度を測るための単位である。

前者は「いくらで何が買えるか」。

後者は「いくらあれば、何を、どれだけ長く続けられるか」。

何億円持っているかを競うよりも、自分には何自由あって、そのうち何自由を生活に使い、残りの何自由で何を実現したいのかを考える方が、ずっと面白い。

本当のお金持ちとは、お金をたくさん使える人ではなく、お金を使っても自由がなくならない人なのかもしれない。


参考資料

注:本文中の運用利回り、支出率、必要資産額は概算であり、将来の運用成果や資産の実質価値の維持を保証するものではない。

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