イラク派兵関連のデータ。
2003/12/11 日経朝刊より。
以下 派兵時期、場所、所属、人数、法律、武器の順
1991/04ペルシャ湾海510人自衛隊法なし
92/09カンボジア陸600人PKO法拳銃、小銃
93/05モザンビーク陸48人PKO法拳銃、小銃
94/09ザイール(現コンゴ)陸260人PKO法拳銃、小銃、機関銃
96/02ゴラン高原陸43人PKO法拳銃、小銃、機関銃
99/11西ティモール空113人PKO法拳銃
2001/10パキスタン空138人PKO法拳銃
01/11インド洋海700人テロ特措法なし
02/03東ティモール陸680人PKO法拳銃、小銃、機関銃
03/03ヨルダン空 50人PKO法拳銃
04/?イラク陸海空約1,000人イラク特措法無反動砲、個人携帯対戦車弾、拳銃、小銃、機関銃
こうしてみると、ここ 13 年の間、結構自衛隊って海外に行ってたんだな、と思う。私は日経を読み始めたのが就職活動を始めてからなので 1992 年、そして SAPIO を年間購読し始めたのが 1997 年くらいだったろうか。日経、SAPIO を読み始めるまで政治経済には興味がなく、というか知識もなかった。だから 1991 年の湾岸戦争のときの自衛隊法による派兵に関しては、私の場合は学生で遊びまくってた時期と重なり、正直言ってそんなことにはまったく興味がなかった。しかし今こうしてみると 1991 年の湾岸戦争の派兵は武器なしだったのか、と恥ずかしながら気づく。
対して今回のイラク派兵は無反動砲までも OK だから、1991 年の派兵はかなり無茶だったのではと思える。ということは、今からあと 10 年くらいすると 「2004 年の派兵は、行けばテロの標的にされる可能性もあり、かなり無謀、法律的 (いや憲法) にも矛盾」みたいな回顧がされるのだろうか。もはや世界は 9・11 を境にテロという見えない敵…戦争に突入していると言ってよいのではないだろうか。今回のイラク派兵で日本は金だけでなく人的側面でも参戦したということだ。
イラク派兵のニュースを見るたび、3 年前 (2000 年) にニューヨークのビジネススクールで短い間だが一緒だったイタリア人の女性が言っていたことばを思い出す。
「アメリカ…クリントン (当時) は嫌いだ。なぜなら 『戦争』 を始めた。 イタリア人はみんな反対してたのに、イタリアの軍隊が参加させられた!」
最初は 「戦争」 とは何のことかわからなかった。「戦争って!?」 と訊くと、当然のように 「(1999 年の) コソボ紛争における NATO のユーゴ空爆」 のことだと答えた。彼女は確かに 「戦争」 と表現した。
地理的にイタリアとユーゴは近い。イタリアからすると戦争しに行くのと同じ感覚なのだろう (確か、そう言ってた気がする)。
一方で私は、彼女と話すまでは、日経では 「NATO 軍」 と報じられるから、NATO がひとつの意思のように見えてしまっていた。彼女と話してからは、NATO は多国籍軍であり、そして詰まるところアメリカの意思であり、しかしその NATO 軍の中は欧州のさまざまな国で構成され、その国ごとに違う意思や感情、事情があるのだ、ということに気がついた。
今回のイラク派兵に関して、私の中では上の NATO のユーゴ空爆がオーバーラップしていた。さっきネットで検索したら、それを裏付ける (?) かのように、以下、よいサイトが見つかったので紹介しておく。
STOP, NATO STRIKES! NOW!!
https://www.pluto.dti.ne.jp/~z-chida/sapio0428.html
より一部無断転載
しかし、今回の空爆は、セルビア側だけが悪者にされている不公平さに目をつぶったとしても、きわめて異常なものだ。例えば、
などなど、一般に報じられている「 NATO 結成史上初の主権国家に対する武力行使」 にとどまらない、異常事態のオンパレードなのだ。
さて、これを読んで今回のアメリカがイラクに仕掛けた戦争…
ユーゴ空爆と対比して、イラク戦争はどうだろう。これから、自分の子どもに、この現状をどう伝え、どのような世の中にしていくか大人は考えることによって、ヒントが見つかるかも知れない。