2005/07 の中頃に仕事で、出向先のマネージャから、「こういうのを作ってくれ」 システムのプロトタイプ開発とオーダーが来た。
期限は 2005/07 末。具体的には、「Windows XP で動作する無線 LAN の DLL を作る」 というものだった。これを読んでいる人は何のことかさっぱりわからないだろうが、それを使うとウィンドウズの動作している PC が無線 LAN のネットワークに接続できるようになるということだ。正直、この仕事はきつかった。オーダーを受けた時点では、自分には*できない*と思った。本気でそう思った。
例えていうなら、事務所で設計図ばかり書いていた建築家が、上司から 「君が設計したものの家を実際に建てて来い」 という命令だ。建築家は、ペンや定規の扱いはうまいが、釘やトンカチやカンナを使いこなす熟練した大工までには至らないだろうという容易に想像はつくだろう。IT の世界でもそれと同様に、システムエンジニアといえばまさに建築の世界では建築家もしくは現場監督にあたり、プログラマは大工である。だから、出向元のマネージャー、日本側にも、「私の技術・スキルではこの仕事はできない」 と伝えた。
しかし、日本側の出向元の上司(私には日米それぞれ1人ずつ、計 2 人いる)の反応は、「うーんそれだったら、それが作れるプログラマ(大工)を一応探してみる」 というものだった。日本側で身近なところにこの仕事が完遂できる社員がいないことも私は知っていた。
一方でアメリカ側の上司に相談すると 「言ってることはわかったけど、できる人を探している間に君ができちゃうんじゃない?」
冗談ではない。一応私もプログラミングもできるとはいえ、ウィンドウズのプログラミングの経験は私には皆無だし、加えてプログラミングができたとしても今回の仕事はただでさえ超ハイレベルなのだ。自分でも限界を感じている。今の勤めてきて今まで自分でタオルを投げたことはなく、割と困難な仕事でも自己解決してきたものの、本当にできないと思った。入社して 10 年以上経つが、これがおそらく私にとっては最大の危機であっただろう。アメリカ側上司はこうも言った
「できちゃうんじゃないのー?基本的に問題解決能力の高い人が選ばれてアメリカに来るんだと思っている」
もう、助けは求められないと思った。出向先は日本の会社の子会社の位置付けだが、日本の本社とはあまり関係はなく、完全にアメリカの会社であり、そこに1人送られて、不可能な仕事を命令され、悩んでも誰も助けてくれない。でも、やるしかない状況。実はここまでの自分の勝算は 5 分 5 分だった。
結果は、なんと7末を迎える前に自分でできてしまった。結果的に周囲の期待通りになってしまっているのだが、自分自身では、このレベルは自分の能力・スキル以上の仕事であったことは間違いない。自分でもこれには驚いた。やればできるんだな、と。この仕事を乗り越えたら、すべての仕事は簡単に思えてしょうがない。今現在も、ハイレベルな仕事の状況は続いているが、何かの歌の歌詞ではないが、「もう怖くはない。」
さて、7月末までに完遂できた成功方法を、自分なりに分析してみたが、以下の通りである。非常事態になると、人間強いもので、それができるように、何かの方法を思いつくのかも知れない。
かくして、自己管理できれば、可能性を超えることができるのだと実感した。実は、この方法は、中学生のときにやっていた方法にほかならなかった。それはいつかこのブログに投稿するとしよう。