しかし、逆に言うと (ウィンドウズがデファクトになった事実は) 、これは IT の世界ではプラスに働いていたのも事実だと思う。今まで述べてきたように、IT の世界では 「良い選択肢」 (たまに悪い選択肢も混ざることはある) がたくさん存在するので、 「決め」 の問題で解決しなければならないことが随所にあるのだ。ここで選択肢の競争が生まれ、それが良かろうが悪かろうが 「強い選択肢」 が後世に残ることになる。ここで、世界中の人が集まってどれがいいのかああだこうだと考えていたら、決まるのも決まらず、その間にどんどん良い選択肢がでてきてしまうので、先に進まないのだ。だから、ウィンドウズがたとえ Mac のパクりでも、製品としてサイアクでも、ビルゲイツが音頭を取って普及させデファクトとなったことに対しては、人類にとってはおそらくプラスだったに違いない。むかし日本であったビデオの規格の VHS と β のときのように、企業の都合だけで 2 つの規格が長い間並存することは消費者にとって必ずしもプラスにはならないこともある。
ここまで来てやっと IT と民主主義の関係を考えることができる。
当然のことながら民主主義とは多数決で物事を決めるのである。多数決とは、できればそこに参加するメンバー全員の意見が反映されることが望ましい。一方 IT の世界で、技術の標準やそこでのルールの決定において、参加者全員の意見を集めるのは不可能である。さらに、参加者全員が新しく矢継ぎ早に提案されていく技術に詳しいとは限らないし、ほとんどの場合技術は一部の人にしかわからない。だから、やはり誰か 1 人が 「決め」 るのが一番早く、効率的な方法と考えられる。もうおわかりだと思うが、IT の世界で民主主義は成立しないのだ。カリスマや独裁者みたいなのが1人いれば実はいいのである (というのは強引だろうか?でも本当にそう思っています) 。つまり、システム全体を見渡せて、良い選択肢を組み合わせることのできるアーキテクトというか、デザイナーが 1 人いればいいと思う。これは 5 人とか 10 人とかではいけない。なぜなら 1 人で決めるよりも 5 人で討議する方が意見の調整に時間がかかるからだ。スピードが出ない。やはり 1 人が決めればいいとなる。しかし、1 人ですべてのことを決定するとしても限界があるので分野ごとに 「独裁者」 を決めてはどうだろう。この独裁者の決定は民主主義の原則に基づいて決めても良い。これはたとえば Linux の開発者である Linus 氏のように、民主主義の原則を持ち出さなくても、たぶん、おのずと決まってくるとは思う。
このように考えると、日本の政治システムというものは、IT の世界とはまるで逆の方向で進んでいるのがわかる。ここでの弊害として端的なのは、意思決定のスピードの遅さだと思う。最近話題となっていた NTT の接続料金の問題にしたって、たぶん、あれはみんながよってたかって議論したところで選択肢が増えるだけで解決しない。アメリカ側が妥協したとか交渉じゃなくて、たぶん 「決め」 の問題だから、アメリカから何を言われようが、 「日本はとにかくコレで行く!!!」 と一発かませば良いんじゃないかと思ってしまう。そして、言ったからにはうまくいかなかったら言った人が責任を取ると。責任を取るというのは、うまくいかなかった場合はその場から退場するという意味であるが、役人たちは誰もその責任を取りたくないだけのことだろうと思う。役人といっても所詮は人の子で、家のローンがあったり妻子があったりするので、責任を取りたくない気持ちはわかるが、これを解決するにはたとえ敗者のレッテルを貼られてもゼロからやり直せるだけの仕組みを作るとか、つまり日本が敗者復活できる社会になればいいだけの話だ。どう考えても政治のスピード以上に、IT 革命の進行が速いので、今の政治システムのままでは、まわらなくなっていくんじゃないかと思う。今、日本に必要なのは、テキパキ物事を決めていく強力なリーダーシップを持つリーダーだろう。
(おわり)