ケータイはもはや人間の行動を記録できる機械。ネットにもつながるので、そう遠くない未来にネットとリアルで「パーマン」みたいな世界ができる。映画 『マトリックス』 な世界観はネットが中心だったが、自分の分身はネットで活動しているという感じだ。
ネットによって非常に効率的な人、金、モノ、情報の配分ができる社会が実現できると、やがて金権まみれの現在の民主主義は崩壊して、社会民主主義に向かうと思われる。この過程ではあくまでも多数決の理論は残るだろう。我々が生きている間に社会民主主義になるとは思わないが、おそらく 100 年後の世界は実現しているのではないだろうか。
社会民主主義になっても多数決がすべてのことを解決できるわけでもないので、その後は共産主義に移行する。共産主義は 20世紀に崩壊したと考えられているが、その思想が目指す通りの社会が実現できれば少なくとも現在の資本主義よりも平等な社会が実現できるだろう。ビルゲイツが何兆円もの資産を手に入れる一方で、日々食べるものを手に入れることすら困難な人たちがいる。それが今の資本主義社会の現実である。
これまでの歴史の中で崩壊した社会主義国家を経済面から見ると、当時の計画経済は人間が手作業で行っていたのであり、最大の問題点は、壮大な経済の計画が出来上がった頃にはその計画自体が(たとえば1年遅れで)時代遅れになっていたということである。これでは計画になってない(笑)。その計画通りに実行できるかわからないし、人間が計画を作る以上は主観が加わる余地があり、判断ミスもあり得ただろう。
しかしそれは今ならコンピュータを使えば簡単に出来てしまう。いや、決して簡単ではないのだが、Google の非公開の技術(たとえば、グリッドコンピューティング)を使うとそれができてしまう時代になった(今のところ Google がこういう話にまったく興味をもっていないのが救いではある)。
共産主義では平等を実現するためには独裁者を抜きには考えられない、つまり、究極の平等は誰か人の言ったことを残りの全員が忠実に守ること(そう、カルト宗教のような世界です)だが、その独裁者の役割はコンピュータが行うと思う。
しかしコンピュータにすべてを任せてしまったら、SF 映画でもよく描かれるように、コンピュータが支配する社会はコンピュータ自身が暴走してしまったりして危なくないのか?という心配もある。
その答えとして、キーとなるものがオープンソースである。
フェアであること。これが現代社会、特に日本においても誰もが求めているものではないだろうか?そして一部の個人、団体、企業だけが利益を得られる社会を変えていくには、システム化の面からはオープンソース以外考えられない。
オープンソースの世界では、ソフトウェアの開発過程やソースコード(ソフトウェアの設計図)はすべて公開されているから、不正やその他、非効率なプログラムは誰でも修正できる。ちょうどウィキペディアがみんなが作る百科辞典、間違いも稀にあるけどそれはやがて修正され、適当なものとなるという世界を目指しているのに似ている(というか、そのもの)。
たとえば投票のシステムを作ることを考えてみて欲しい。こんなに IT が発達した現在でも、投票所に足を運び、手作業で集計だ。それには莫大な時間と稼動がかかっている。みんながしたいことは自分の支持する候補者や政党に投票すること、そして知りたいのはその選挙の結果だけだ。要件はこの2つしかない。この選挙のシステムの設計書が誰でも(知識のある人であれば)自由に手に入るとしたらどうだろうか?それこそがもっともフェアといえるのではないか。必要であれば設計書のレビューは自分で行えるし、設計書通りに選挙システムが動作しているか監査もできる。徴税や予算執行の会計システムも同様だ。
同時に、コンピュータウィルスに関してもオープンソース相手のウィルスは作りにくい。それは Linux や Apache その他多くのオープンソースプロジェクトの成果であるソフトウェアが実証していること。
ボーダーレス化が進み、人やモノの移動がさらに自由になると、地域格差が解消に向かう。そしてオープンソースによるガバナントの実現。結局、徴税と富の再配分、教育などの政府の仕事っていうのは、ネットに移行できるだろう。政府のシステムがすべてオープンソースになる。これは政府の仕事がすべてガラス張りになるということでもある。
実際には、国家として求められる必要最低限の機能がコアとして実装されて(オブジェクト指向でいうスーパークラス、クラスライブラリが提供され、それを元にフレームワークが作られる)、地域ごとにサブシステムが作られていき、人々がそれを使うようになる。
それをオープンソース・ガバメントと呼べると思う。