私の子どもは双子で2人とも自閉症だ。今回は私の人生の中で一番つらく、そして残念だったことを書きたい。
それは皮肉にもアメリカの紀伊国屋書店の中で起こった。
それまではアメリカの障がい者に対する考えた、取り組み、福祉サービスに触れて、非常に幸せだった。
・・・が・・・ある日、紀伊国屋書店に子どもを連れて行ったときに、子どもが奇声をあげて店内でうるさくしていた。しかしアメリカの生活に慣れてしまった私は、少しくらい子どもが店の中で騒いだくらいでは少し注意するだけで放っておいた。アメリカでは許容範囲内のうるささだと思ったからだ。
通常ならアメリカ人であればうちの子の様子をみればすぐに「この子はちょっとヘンだな、なんかあるだろう、自閉症かな」と、想像してくれるから、どの店にいってうちの子が騒いでも周囲が非常に理解を示してくれて、むしろ善意で話しかけてくれるくらいである。
で、私が注意しても(そもそも言葉が通じないため注意されてることがわからない)、奇声は続き、男性の客が私に近寄ってきて「静かにさせろ!」と言ってきた。
まぁ私もそんなクレームはしょっちゅうなので「あーすみません」といって、子どもには「静かにしなさい」と、注意はした。
それでも子どもが奇声を発していたら、その男性が「うるさい!」といってなんとうちの子の頭を叩いてきた。
これには驚いた、、自閉症などとは関係なく、どんなことがあっても人の子どもの頭を叩くこと自体、私には信じられないことだ。親からしてみれば、いきなり自分の頭を叩かれも同然だ。
私も怒りが抑えられず、その男性を殴りかかりたい気持ちになったが、、後先のことを考えてぐっとこらえた。私が20代前半だったら確実にその男と取っ組み合いになっていただろう(苦笑)
で、無言でじっと睨み返したら、その男性は「わかった、わかった」と謝ってきた。
その後紀伊国屋書店の店員を呼んでその男性の前で、「うちの子は自閉症です。店内で騒ぐことがあるかもしれませんが、許していただけますか?」とお願いしたところ、店員も引きながらも「かまいません…」と答えてくれた。
この出来事が何を意味しているかというと、結局、私が住んでいる地域で唯一1店しかない日本の紀伊国屋の中は、実は日本だったということ。客もほとんど日本人しかいないし、当然といえば当然なのだが。
おそらくこれが日本の状況だと思う。
完全に静かにしなければいけない美術館や図書館ではそもそも私も子どもをそんなところに連れて行かないが、日本でもレストランや普通のお店くらいは、少しくらい騒ぐことは許していただきたいものだ。
はじめまして。難聴その他の障害児の長男をもつ、ナのはなと申ます。つい最近私自身が自閉症と告知され、ビックリ仰天の反面ストンと納得して荷物を降ろしたり進む道を変えたり。
「そういう子」がいることを認めず、認めないことを正義と信じて疑わない「美しい国」で、障害者の親として生活するのもちょっとしたアドベンチャーであります。
息子がいなかったら、自分が決定的な出来損ないであることを笑えなかったと思います。
この出来損ないの世界で、日本の「健常者」の皆さんは精一杯の善意と能力でがんばっていらっしゃいます。障害や福祉に関するちょっとの科学的な知識を持っていただけたら、と思いますが、世の中それどころではないそうです。
彼らに教えて上げられることはあるけれど、むこうにその気はさらさらないので、できるだけ安全な場所で見物しております。
悲しくて悔しい気持ちは、子供に跳ね返ると虐待になってしまうので、コントロールが難しいですね。
はじめまして。難聴その他の障害児の長男をもつ、ナのはなと申ます。つい最近私自身が自閉症と告知され、ビックリ仰天の反面ストンと納得して荷物を降ろしたり進む道を変えたり。
「そういう子」がいることを認めず、認めないことを正義と信じて疑わない「美しい国」で、障害者の親として生活するのもちょっとしたアドベンチャーであります。
息子がいなかったら、自分が決定的な出来損ないであることを笑えなかったと思います。
この出来損ないの世界で、日本の「健常者」の皆さんは精一杯の善意と能力でがんばっていらっしゃいます。障害や福祉に関するちょっとの科学的な知識を持っていただけたら、と思いますが、世の中それどころではないそうです。
彼らに教えて上げられることはあるけれど、むこうにその気はさらさらないので、できるだけ安全な場所で見物しております。
悲しくて悔しい気持ちは、子供に跳ね返ると虐待になってしまうので、コントロールが難しいですね。