障がい児 (1999/11/02)

  みなさんは、もし自分の子どもが知的な障がいを負っているとしたら、何を考えるだろうか。

  わたしなりの答えをする前に、我が家の子どもたちのことを話そう。
わたしは、気づいていた。子どもたちの成長が遅いことを。それは、32 週で帝王切開によって産まれた直後、医者からわたしだけ呼ばれてこう言われたのが頭にあったからかも知れない。

 「肺ができていなかったため、保育器の中で人工呼吸器をつけています。こうやって産まれた子は知能の発達が遅れることがあります、まぁ、多くは小学生になるころには追いつくんですが、そうでない場合もあるかも知れません」

  彼らが生まれた時、このように言われたときはあまり気にしなかったが、頭の隅にはいつもこのことばがあったように思う。成長するにつれ次第に他の子との発達の差が目立つようになった。子どもたちが 1 歳半を過ぎた頃から、医者のことばをよく思い出すようになった。

  2 歳の誕生日を迎えたとき、例えば子どもたちは、産まれてからずっと人見知りをまったくしなかった。どんな相手にも笑顔でこたえる。バイバイもできない。わたしはいいとしても、妻が子どもたちを呼んでも振り向かない。目線が合わない、合わそうとすると顔をそらす。自分でできることがあまりにも少ない。ことばがでない。体はどんどん大きくなっても、心はずっと赤ちゃんのままのようにみえる。とにかくマイペース。

  田舎のおじいちゃん、おばあちゃんからは、

 「まだまだ、3 歳になってみないとわからないよ」 そして、医者や市の療育センターも「3 歳まで様子を見ましょう。」

 (そしてこれらの言葉は、決して信用してはならないもだと最初から確信していたが) やはりわたしは彼らの父親だ。彼らの行動は一見すると普通に見えるが少し変だ、というのは親だからこそわかることだ。

  そしてこの時期、これはまったく親のエゴかも知れないが、わたしの希望で子どもたちの MRI で脳 (の断面図) を撮ってもらうことにした。これを撮るために、効かないので許容量一杯まで睡眠薬を飲ませたときは心が痛んだ。結果は、1 人は生まれたときに脳に酸素が行かず、脳細胞が少し死んでいるとのこと。そしてもう 1 人は、これとは別の観点で脳の発達の遅れがみられる、とのことだった。そしてこのとき医者は

 「親は、子どもにいろいろなことを試してみるが、ほとんどは親の自己満足に終わってしまうので、あきらめた方がいい。」

  このままどうなってしまうのだろう?と悩んだ。彼らは社会的にも、障がい者とも認められず、中途半端な状態におかれたままなのだろうか?しかしながら、何もせずにはいられなかった。

  まず、子育ての方針を変えた。 「 3 歳までは専業主婦として育児に専念する」 と妻と話し合っていたが、子どもたちに刺激を与えるために、すぐに保育園を探した。これは紆余曲折の末、無事入園することができた。ちなみに、この保育園では、障がい児の保育を真剣に考えてくれるようになった。園長や保母たちにはとても感謝している。

  次に、地域の「訓練会サークル」にも週 1 度参加するようにした。さらに、知り会いの紹介で、大学の心理学研究室にも通うようにした。これと同時に、障がい児のことについていろいろと調べていくうちに、聞きなれないキーワードが飛びこんでくる。 「療育」 「通園」…

  IQ を測ったり、精神科医が診断して彼らが障がい児として認定されると、療育手帳なるものがもらえ、いろいろなサービスが受けられるようになるらしい。また、療育センターに通うことを通園と言うらしい。

  そこで、市に無理を言って (しかも、申請してから診断まですごく待って)、2 歳 4 ヶ月くらいで子どもたちの状態を診断してもらった。その結果、2人とも認定されたのはちょっと複雑な気持ちだったが、経済的、制度的な面で心の余裕ができ、早めに診断してもらって良かったと思っている。

  環境面でたくさんの変化が起きた。子どもたちも 3歳半を過ぎ、以前よりも行動が落ち着いてきたようだ (ことばがでないのは相変わらずだが)。毎日、いやがる彼らを抑えつけて顔をわたしに向けるようにしていたら、最近では目線も合うようになってきた。

  ここで実際に子どもたちを訓練会や保育園に連れて動き回っているのはわたしの妻。わたしは毎日会社に行ってしまうので朝晩と週末に自分の子ども以外に接することは少ないが、妻はそうはいかない。保育園、同じマンションの子ども…わたしよりも多くの、同い年くらいの子どもに接している。わたしは、自分の子どもと同い歳くらいの他の家の子どもが 「パパ-」 と呼んでいるのを聞くと、依然ブルーな気持ちになるが、その頻度は少ない。それに比べ、妻はどうだろう。ただでさえ双子なのに、どのお母さんよりもがんばっていると思う。妻のことは尊敬している。

  最初は、「なぜうちの子が…」 という気持ちだった。子育ての方針を変え、いろいろと診察してもらったり、わたしたちなりに勉強して、子どもの状態を理解して受け入れる決心がつくまでちょうど 1 年以上はかかった。それが、今である。

  ここで、最初の質問にわたしから答えたいと思う。わたしは、幸せには 「相対的に幸せを感じること」 と 「絶対的に幸せを感じること」 の 2 種類があると考えるようになった。例えば前者は、自分の生活レベルと他人の生活レベルを比較することでどちらが幸せなのか判断することである。相対的なモノの尺度で測った幸せは、本当の幸せと言えるのだろうか?

  わたしたちの世界のほとんどは、相対的な幸せに価値をおいているように思う。それは、資本主義と言う競争社会の中では、仕方のないことかも知れない。しかしながらわたしと妻は、子どもたちからすでにある 1 つの結論を得ている。それは、絶対的な尺度で幸せを感じていこう。決して、他人の子どもと比較しない。わたしたちには、自分たちが見つける喜びがそこにあるはずだからだ。

  その一方で、子どもたちの将来も考えている。 「順番から言うとわたしたちが先に死ぬ、この子たちが大きくなったときに住みよい社会を作っておく。」 これは生涯のわたしの目標となった。

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※本稿は、以下の本に執筆したものです。

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