次はロボットとは、「ケータイの次に来るもの」で述べた通り。
今後 20年で起こりうることとして、「お使いロボット」なんてのが出てくるに違いない。
このお使いロボットがたくさん街をうろつく日も近い。そうなったら、持ち主のいなくなったロボットが近所を徘徊するかも知れない。野良ロボットの誕生である。
(ロボットは自分の電源チャージできる場所を知っているだろうから、その供給源が絶たれるまではしばらくの間動作し続ける)
これを書いたら周囲の 2人から 「どーしたの?」と聞かれた。別に、どうしたわけでもないけど、2000年の雪印牛乳事件のときに、日経に載っていたことばで、ずっと肝に銘じていただけ。
ウェブを探せば、「築城 3年、落城 3日」というのもあるみたいだ。でもきっと現代社会でも落城は 1日だろう。
この投稿と前後してタイミング良く 「野村サッチー」 や 「田代まさし」 の事件も起きた。
しかしこの言葉はもっと奥が深い。人間は生まれるまで母体の中から世の中にでるまで 10ヶ月もかかるのに対して、生まれた後事故などで死んでしまうのは 1秒とかからない。ほんの一瞬である。
それは、ロボットである。
私が 2000 年にサン・マイクロシステムズにインターンとして働いていたとき、そこのディレクターが以下のような言葉をメールに添えてくた。
+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++ "Coming together is a beginning, keeping together is a progess; working together is a success." - Henry Ford +++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++
これを訳すと
「一緒に集まれれば始まりで、ずっと一緒にいられたら進歩である。そして一緒に働けたらそれは成功である」
ヘンリー・フォード
ということになるかな。
いい言葉です。
しかし、逆に言うと (ウィンドウズがデファクトになった事実は) 、これは IT の世界ではプラスに働いていたのも事実だと思う。今まで述べてきたように、IT の世界では 「良い選択肢」 (たまに悪い選択肢も混ざることはある) がたくさん存在するので、 「決め」 の問題で解決しなければならないことが随所にあるのだ。ここで選択肢の競争が生まれ、それが良かろうが悪かろうが 「強い選択肢」 が後世に残ることになる。ここで、世界中の人が集まってどれがいいのかああだこうだと考えていたら、決まるのも決まらず、その間にどんどん良い選択肢がでてきてしまうので、先に進まないのだ。だから、ウィンドウズがたとえ Mac のパクりでも、製品としてサイアクでも、ビルゲイツが音頭を取って普及させデファクトとなったことに対しては、人類にとってはおそらくプラスだったに違いない。むかし日本であったビデオの規格の VHS と β のときのように、企業の都合だけで 2 つの規格が長い間並存することは消費者にとって必ずしもプラスにはならないこともある。
ここまで来てやっと IT と民主主義の関係を考えることができる。
当然のことながら民主主義とは多数決で物事を決めるのである。多数決とは、できればそこに参加するメンバー全員の意見が反映されることが望ましい。一方 IT の世界で、技術の標準やそこでのルールの決定において、参加者全員の意見を集めるのは不可能である。さらに、参加者全員が新しく矢継ぎ早に提案されていく技術に詳しいとは限らないし、ほとんどの場合技術は一部の人にしかわからない。だから、やはり誰か 1 人が 「決め」 るのが一番早く、効率的な方法と考えられる。もうおわかりだと思うが、IT の世界で民主主義は成立しないのだ。カリスマや独裁者みたいなのが1人いれば実はいいのである (というのは強引だろうか?でも本当にそう思っています) 。つまり、システム全体を見渡せて、良い選択肢を組み合わせることのできるアーキテクトというか、デザイナーが 1 人いればいいと思う。これは 5 人とか 10 人とかではいけない。なぜなら 1 人で決めるよりも 5 人で討議する方が意見の調整に時間がかかるからだ。スピードが出ない。やはり 1 人が決めればいいとなる。しかし、1 人ですべてのことを決定するとしても限界があるので分野ごとに 「独裁者」 を決めてはどうだろう。この独裁者の決定は民主主義の原則に基づいて決めても良い。これはたとえば Linux の開発者である Linus 氏のように、民主主義の原則を持ち出さなくても、たぶん、おのずと決まってくるとは思う。