私が 2000 年にサン・マイクロシステムズにインターンとして働いていたとき、そこのディレクターが以下のような言葉をメールに添えてくた。
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"Coming together is a beginning,
keeping together is a progess;
working together is a success." - Henry Ford
+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++これを訳すと
「一緒に集まれれば始まりで、ずっと一緒にいられたら進歩である。そして一緒に働けたらそれは成功である」
ヘンリー・フォード
ということになるかな。
いい言葉です。
しかし、逆に言うと (ウィンドウズがデファクトになった事実は) 、これは IT の世界ではプラスに働いていたのも事実だと思う。今まで述べてきたように、IT の世界では 「良い選択肢」 (たまに悪い選択肢も混ざることはある) がたくさん存在するので、 「決め」 の問題で解決しなければならないことが随所にあるのだ。ここで選択肢の競争が生まれ、それが良かろうが悪かろうが 「強い選択肢」 が後世に残ることになる。ここで、世界中の人が集まってどれがいいのかああだこうだと考えていたら、決まるのも決まらず、その間にどんどん良い選択肢がでてきてしまうので、先に進まないのだ。だから、ウィンドウズがたとえ Mac のパクりでも、製品としてサイアクでも、ビルゲイツが音頭を取って普及させデファクトとなったことに対しては、人類にとってはおそらくプラスだったに違いない。むかし日本であったビデオの規格の VHS と β のときのように、企業の都合だけで 2 つの規格が長い間並存することは消費者にとって必ずしもプラスにはならないこともある。
ここまで来てやっと IT と民主主義の関係を考えることができる。
当然のことながら民主主義とは多数決で物事を決めるのである。多数決とは、できればそこに参加するメンバー全員の意見が反映されることが望ましい。一方 IT の世界で、技術の標準やそこでのルールの決定において、参加者全員の意見を集めるのは不可能である。さらに、参加者全員が新しく矢継ぎ早に提案されていく技術に詳しいとは限らないし、ほとんどの場合技術は一部の人にしかわからない。だから、やはり誰か 1 人が 「決め」 るのが一番早く、効率的な方法と考えられる。もうおわかりだと思うが、IT の世界で民主主義は成立しないのだ。カリスマや独裁者みたいなのが1人いれば実はいいのである (というのは強引だろうか?でも本当にそう思っています) 。つまり、システム全体を見渡せて、良い選択肢を組み合わせることのできるアーキテクトというか、デザイナーが 1 人いればいいと思う。これは 5 人とか 10 人とかではいけない。なぜなら 1 人で決めるよりも 5 人で討議する方が意見の調整に時間がかかるからだ。スピードが出ない。やはり 1 人が決めればいいとなる。しかし、1 人ですべてのことを決定するとしても限界があるので分野ごとに 「独裁者」 を決めてはどうだろう。この独裁者の決定は民主主義の原則に基づいて決めても良い。これはたとえば Linux の開発者である Linus 氏のように、民主主義の原則を持ち出さなくても、たぶん、おのずと決まってくるとは思う。
IT に民主主義はなじむものか考察してみたい。ここで言う IT とは主にインターネットを柱とするコンピュータの世界を考える。
今回は、援助交際ビジネスについて考えてみたい。
(参考文献:ゴミ投資家のためのインターネット投資術入門)
■援助交際をする女子高生の言い分
「私がどこの誰と SEX しようが私の勝手。その人が好きでお金をくれるんだから、もらったっていいじゃん。第一、誰にも迷惑かけてないじゃん」
この論理を覆すことができるか経済学の視点から考察してみよう。
■現在の援助交際市場の需要と供給の関係
一時、マスコミが援助交際をはやしたてた時期があったが、最近はあまり話も聞かれなくなってきてしまった。これは女子高生の売春がいまさら大騒ぎするようなことでもなくなったということもあるかもしれない。しかしそれ以上に援助交際市場への女子高生の供給が過剰になるとともに、当初のもの珍しさがなくなって消費者=オヤジ側の需要が冷え込んだために売春価格が下落し、リスクの見合うリターンが少なくなってきたからだと考えられる。
■援助交際ビジネスのリスク
「フツーの女子高生が売春に走る」と大騒ぎだったが、マトモな女の子は、最初からそんなことは取り合わな
かったことがわかる。それは彼女たちに道徳心があったためではなく、援助交際ビジネスが、もともとリターンのわりにリスクばかりが大きな取引だったからである。援助交際というビジネスは、実はかなりハイリスクなビジネスである。初期には、もの珍しさから、オヤジと食事に行っただけでお小遣いをもらえることもあったようだが、市場が冷え込んで来ると資本主義の経済法則が働いて、実態を伴わなければお金を払ってもらえないという、当然の状況になってきた。
■供給者=女子高生側のリスク
実態を伴うためには見知らぬオヤジと 2人きりでラブホという密室に入らなければならない。オヤジがさっさと SEX してお小遣いを払ってくれれば良いが、そのオヤジが変態や変質者だったりすると、かなり悲惨なことになる。場合によっては首を締められたり、ナイフで切り刻まれたりするかもしれない。外見から他人の性的嗜好を判断することはまず不可能だから、これは大変危険な賭けである。その上、普通の SEX で済んだとしても、無事にお小遣いをもらえるという保証はない。事実、さんざんやりたい放題した後で、「女子高生が売春していいと思っているのか。親が泣いているぞ。しっかり勉強しろ」と説教して 1円たりとも払わないオヤジが続出して、援助交際市場は一気に崩壊してしまった。援助交際のビジネスでは法的な支払い義務を負わない以上、小遣いを払わずに説教するというのが消費者=オヤジの合理的な行動であるから当然ではある。
このようなリスクをヘッジしようと、女の子たちが女子高生専門のホテトル業者と契約するケースも増えたようだが、その場合は業者に売上をピンハネされるため、リスクの軽減に伴ってリターンも減ってしまう。その上、性病を伝染されたり妊娠したりするリスクもあるから、とうていリスクに対して割が合わない。
■援助交際のビジネスモデル
以上より、援助交際のビジネスモデルは、そこに仲介業者を挟むとリスクを軽減できる代わりに大幅にリターンが減ってしまうため、できる限り高いリターンを望むためには 1対 1の交渉が基本であり、このような仕組み=モデル自体がハイリスク・*ローリターン*な取引であったことがわかる。たとえハイリターンであったとしても依然としてリスクも高いので、このように考えると、マトモな女子高生は、道徳やこのような経済理論を持ち出すまでもなく、魂に良かろうが悪かろうがこのような取引には手を出さないだろう。
■どのような女子高生が援助交際市場の供給者となるか
次の 2つのケースが考えられる。
貧乏というのは相対的なものである。日本のような豊かな社会で、そもそも高校に通うことができるくらいの女子高生が売春しなければ貧乏であるというのは考えづらい。日本のごく普通の女子高生は貧しいアジアやアフリカの国に行けば十分に豊かだが、上から下までブランドものを身に付けるのが当たり前のお嬢様学校ではただの貧乏人である。こうした(日本国内で相対的な)貧乏女子学生がシャネルによって自己実現しようとするときに、初めて援助交際のハイリスクも引き受けるに値するものになる。
実際はこのように自分の置かれている状況やリスクを正確に把握して援助交際市場に自分自身を投機するというのは考えづらく、ほとんどの場合はブランドに憧れる、頭が悪くてリスクの所在がわからない女の子が主要な援助交際の供給源となる。だいたい、ブランド品で自己実現して(相対的に)本当の金持ちに対抗しようとすること自体が頭の悪い証拠だったりする。
■まとめ
援助交際のビジネスモデルは「リターンに対してかなりのハイリスクである」ため、この 「リスクを補って余りあるほどの利益が女子高生側にもたらされ続かない限り、援助交際は (女子高生にとって) 取引するに値しないビジネス」 である、ということになる。
電子メールはプッシュなので、ともすると自分には全く必要のない情報 (メール) まで受け取ることになる。おそらくこれを読んでいる読者の中にも、見ず知らずのアドレスから英語で書かれたわけのわからないメール (たいていはアダルトサイトの宣伝だったりする) を受け取った経験のある人がいるのではないだろうか。
メールアドレスを教えたつもりがないのに見知らぬ相手からメールが届くというのは、何かしらの原因がある。たとえば、ウェブサイトでユーザー登録などをしているうちに、いつの間にかあなたのメールアドレスは業者 (名簿業者みたいなもの) に売られていくことになる。こういったメールは 「スパムメール」 とも言う。アダルトサイトの宣伝は端的な例だが、これと同じようにメールという仕組みを使って、一般の真面目な企業も不特定多数に自社の製品やサービス情報を提供したいと考えるのは当然である。TV の CM、新聞や雑誌に広告を出すよりもメールの方が断然コスト (費用) がかからないからである。