7月4日は、アメリカの独立記念日。
2004/07/04 は日曜なので、5日も振替休日になっていたが、こちらの休日システムは (アメリカに来たばかりで) よくわからないので、会社の同僚に 「月曜日は休みなんですか?」 と聞いてみたところ、「たぶんそうじゃないか?」 (←たぶんって、おい・・)。 彼に続けて言われたのが、
「それより、お前に 1つ 『警告』 しておく。週末にあちこちで 爆発音が聞こえても、それは決してアメリカで 『戦争』 が始まった わけじゃないから。決してテロでもない。心配するな。」
週末は花火があると妻が楽しみにしていたので、すぐに彼なりのジョークだとわかったけど、この独立記念日、アメリカではみんな揃って祝っている (ちなみに、彼の言う 「あちこちで」 は本当で、このあたりは各市町村単位で花火をあげてたようである)。中でも、独立記念日の前には家の前に国旗を掲げていたり、クルマのラジオのアンテナに付けた国旗をなびかせてフリーウェイを疾走するクルマをみかけたり、いつもポップスしか流さないラジオでもアメリカの国家のポップス版とか有名なアーティストが歌ったやつとかが 1 日中流れていたりした。
さて、これを日本に置き換えたらどうだろう?星条旗は日の丸に、国家は君が代となる。日の丸をなびかせて走っているクルマをみかけたら (日本だと) 確実に「右翼 」扱いだ。建国記念日 にJ-WAVE でも 「君が代」 は流さないだろう。
この違いは、いったいなんなんだろう?と、考えさせられる。アメリカ国民というものは、日本人からするとみんな 「右翼」 になってしまう。(アメリカ人には) 「愛国心」 はみんなにあるように見える。一方で日本は、逆にマスコミが騒いで、日の丸君が代に反対する教員のニュースとかを流したりする。日本人は愛国心が備わらないよう、もっと明確に指摘するなら、アメリカの属国のままでいるように、アメリカからコントロールされているのだと思う。
アメリカは確かでない情報をもとに他国に 「干渉」 しちゃう国である。国を滅ぼすくらいおせっかいなことするなら、日本にも、自分の国の価値観を強制して 「 もっと俺たちアメリカ人みたいに自分の国を大事にしろよ」 と言って来てもよさそうなものだ。そのくらい独立記念日は盛り上がっていた。彼らにとって 7/4 は、自分たちの (日本で言う) 愛国心を再確認する日なのだろう。日本で、建国記念日はどうか? 「(日本が建国した日なんて誰にもわからないから) 単に 2月は休みがないから、作ろう。。。」って感じだったのでは・・・
週末実家に帰り、74歳の父と話す機会があった。イラクの戦争について、
「日本の今の状態は第2次世界大戦に突入する前に似てはいないのか?当時はどうだったんだ?」
と聞いたところ、「いや、違う」と言う。
「では、どういう状態だったのか?」
と尋ねるとすかさず、
「今の北朝鮮が(当時の日本と)まったく同じだ。だからアメリカと戦争した。私は生き証人だから間違いない。」
と答えた。さらにこう言った。
「私は小さい頃学校で立たされたことがある。先生が天皇陛下万歳と言えと教えたから、『その前にお父さん、お母さんに万歳じゃいけないんですか?』と言ったら『お前は非国民だ』と言われて、立たされた。」
イラク派兵関連のデータ。
2003/12/11 日経朝刊より。
以下 派兵時期、場所、所属、人数、法律、武器の順
1991/04ペルシャ湾海510人自衛隊法なし
92/09カンボジア陸600人PKO法拳銃、小銃
93/05モザンビーク陸48人PKO法拳銃、小銃
94/09ザイール(現コンゴ)陸260人PKO法拳銃、小銃、機関銃
96/02ゴラン高原陸43人PKO法拳銃、小銃、機関銃
99/11西ティモール空113人PKO法拳銃
2001/10パキスタン空138人PKO法拳銃
01/11インド洋海700人テロ特措法なし
02/03東ティモール陸680人PKO法拳銃、小銃、機関銃
03/03ヨルダン空 50人PKO法拳銃
04/?イラク陸海空約1,000人イラク特措法無反動砲、個人携帯対戦車弾、拳銃、小銃、機関銃
こうしてみると、ここ 13 年の間、結構自衛隊って海外に行ってたんだな、と思う。私は日経を読み始めたのが就職活動を始めてからなので 1992 年、そして SAPIO を年間購読し始めたのが 1997 年くらいだったろうか。日経、SAPIO を読み始めるまで政治経済には興味がなく、というか知識もなかった。だから 1991 年の湾岸戦争のときの自衛隊法による派兵に関しては、私の場合は学生で遊びまくってた時期と重なり、正直言ってそんなことにはまったく興味がなかった。しかし今こうしてみると 1991 年の湾岸戦争の派兵は武器なしだったのか、と恥ずかしながら気づく。
対して今回のイラク派兵は無反動砲までも OK だから、1991 年の派兵はかなり無茶だったのではと思える。ということは、今からあと 10 年くらいすると 「2004 年の派兵は、行けばテロの標的にされる可能性もあり、かなり無謀、法律的 (いや憲法) にも矛盾」みたいな回顧がされるのだろうか。もはや世界は 9・11 を境にテロという見えない敵…戦争に突入していると言ってよいのではないだろうか。今回のイラク派兵で日本は金だけでなく人的側面でも参戦したということだ。
イラク派兵のニュースを見るたび、3 年前 (2000 年) にニューヨークのビジネススクールで短い間だが一緒だったイタリア人の女性が言っていたことばを思い出す。
「アメリカ…クリントン (当時) は嫌いだ。なぜなら 『戦争』 を始めた。 イタリア人はみんな反対してたのに、イタリアの軍隊が参加させられた!」
最初は 「戦争」 とは何のことかわからなかった。「戦争って!?」 と訊くと、当然のように 「(1999 年の) コソボ紛争における NATO のユーゴ空爆」 のことだと答えた。彼女は確かに 「戦争」 と表現した。
地理的にイタリアとユーゴは近い。イタリアからすると戦争しに行くのと同じ感覚なのだろう (確か、そう言ってた気がする)。
一方で私は、彼女と話すまでは、日経では 「NATO 軍」 と報じられるから、NATO がひとつの意思のように見えてしまっていた。彼女と話してからは、NATO は多国籍軍であり、そして詰まるところアメリカの意思であり、しかしその NATO 軍の中は欧州のさまざまな国で構成され、その国ごとに違う意思や感情、事情があるのだ、ということに気がついた。
今回のイラク派兵に関して、私の中では上の NATO のユーゴ空爆がオーバーラップしていた。さっきネットで検索したら、それを裏付ける (?) かのように、以下、よいサイトが見つかったので紹介しておく。
STOP, NATO STRIKES! NOW!!
https://www.pluto.dti.ne.jp/~z-chida/sapio0428.html
より一部無断転載
しかし、今回の空爆は、セルビア側だけが悪者にされている不公平さに目をつぶったとしても、きわめて異常なものだ。例えば、
などなど、一般に報じられている「 NATO 結成史上初の主権国家に対する武力行使」 にとどまらない、異常事態のオンパレードなのだ。
さて、これを読んで今回のアメリカがイラクに仕掛けた戦争…
ユーゴ空爆と対比して、イラク戦争はどうだろう。これから、自分の子どもに、この現状をどう伝え、どのような世の中にしていくか大人は考えることによって、ヒントが見つかるかも知れない。
2003/12/10 日経朝刊より
*…攻撃またはテロにあった国
2000 年にアメリカに少しだけ初めて住んで知ったことがある。それは、
アメリカのテレビはすべて、字幕付きだということ。
なんと CM まで字幕が付いている。生放送のときも字幕がリアルタイムで流れる。スラングとか笑い声まで字幕で流れる。
以下、日経 2003/06/25 より。
日本はアメリカの属国なんだから、こういう良い面はすぐに取り入れていくべきだろう。もちろん、聴覚障がい者のため。高齢化社会になれば、なおさらだ。しかし法整備するまで日本ではあと 10 年はかかるだろう。