アメリカに住んでしばらくしてからその理由がようやく理解できた。それは、報道されているようにいろいろ理由をゴネてしないのではなくて、実際は 「できない」 といった方が正確だろうと思う。
海外で少しでも暮らしてみれば、自分は何者かということを常に考えさせられる。今住んでいるアメリカを例に取ると
「お前は何者なんだ?」
ということが常に問い詰められる。
アメリカのシリコンバレー/ベイエリア地域の小学校。うちのこどもが実際に通っているその地域の小学校の先生と毎日やり取りしている連絡帳に、ある日 「今日はとってもお利口さんでした」 と書かれていた。
実はうちの子はスペシャルニーズのクラス(日本でいう個別支援クラス/養護学級)に通っているのだが、このクラスに地元企業であるインテルからボランティアが来て、こどもたちと 1日過ごしたんだそうだ。うちの子としても多くの人と接することはよいことだし、そしてボランティアの方も多くのいろいろな子ども接することによって社会的な相互理解が生まれてくると思う。
企業から学校にボランティアが派遣されるのはアメリカでは普通に行われているとのことである。親としても地道にこういった活動をしている企業には好感が持てる。日本の企業はどうだろうか。
compliance とは、日本語では 「法令遵守」 の意味となる(ちなみに、広辞苑によれば、「順守」 と 「遵守」 は、両方が同じ見出しの 「じゅんしゅ」 に併記されている)。私がこの言葉を(単なる英単語を知っているというレベルではなく)意味を理解しながら初めて聞いたのはライブドア・ショックの 1 年以上前、2004/10 であった。この時はちょうどライブドアマーケティングが出版社のマネーライフを完全子会社化したときと重なるが、こちら(アメリカ)で仕事をしている会社で、 「災害やケガ・病気などの緊急時の対応に関するセミナー」 があったときに知ったのだった。