2006/01、出張のために 1 年 8 ヶ月ぶりにアメリカから日本に帰国した。そこで感じたこと、日経に書かれている通り、日本経済の回復の力強さを目の当たりにした思いだ。日経には連日のごとく「好景気、好景気」の言葉が躍っていたが、百聞は一見に如かず、確かにあちこちでそれを裏付けるような風景を見た。
たとえば品川。ここは駅前の再都市再開発が進み、品川駅東口には品川インターシティという超高層複合ビルが完成していた。ずいぶんと綺麗になった。
アサヒビール名誉会長の樋口廣太郎氏は、
とのこと(2000/01 氏の講演記録より)。
このことを知ってから、私も海外出張があるときには東京→成田→東京までのリムジンバスから、クレーンの数をチェックするようにしている。
先週末、こちら(アメリカ)の TV を観ていたら、年が明けてから 2 週間して 「レコ大」 をやっていた。その中でプレゼンターにホリエモンが出てきた。私は実は TV でホリエモンが出ているのを見たのはそれが初めてだった。かなり緊張していた様子だった。これが社長か?とも思った。私も偉そうなことを言ってるかも知れないが(まぁいつものことですから)、私も 3,000 人くらい集まるドコモの株主総会で発言したことは何回かある。次のプレゼンテーターである小池百合子はさすがにアナウンサーをやっていただけあってスピーチはうまかった。ああいう場でのスピーチは要は度胸の問題だが、ホリエモンはこっちが見ていてドキドキしてしまうな、大丈夫か?と思っていた矢先のこと、、、(前置き長い、すまぬ)
素晴らしい。彼は死に対しても正直に向き合っている。
以前より私は死に対しては、以下のような考え方を参考にしている。
ラズマス・ダーウィン(ダーウィンのおじいさん)は、有機体的幸福というのを考えた。
生き物の幸せは、個体の自己放棄、つまり死ぬことである。むしろ生き物の使命は、死んで他者に道をあけてやることである。
自由競争であろうが都市間競争であろうが、ナチュラル・セレクションによるサバイバル (生き残り) は、実のところ 「死に残し」 の陰画にすぎない。 《生命》 保険みたいなもので、死んでから得られるので、本人には得られない。この死が残すのは 「隙間(エンプティ・スペース)」 であって、資産でないが(が、有限の食料・資源からの引算を考えれば同じこと)。
ジョブズも言及しているように、死は誰もに平等に与えられる。決して逃げることはできない。同時に私は誰もがこの世に産まれて与えられた使命があると思う。
天国に行きたいから死ぬのではない。その死を迎えるまでに、与えられた使命を粛々とこなすのが生だと思う。
同僚で、私よりも入社年度は遅く歳下だが、尊敬している人物がいる。彼は中国人。早稲田の大学院を出ている。歳はそんなに変わらない、2002年は彼と一緒に仕事をしていた。某野球球団との IT 恊働も彼がいなければ成し遂げられなかった。
イケイケで仕事をする。彼は云う、「中国にはこんなことわざがある。」
これは、
という意味だそうだ。
つまり良くいえば、「意志(志)あるところに、道は開ける」ということだし、悪くいえば 「やったもの勝ち」 ということだろう。
以前彼に、
「なぜ就職先にうちの会社を選んだのか?君なら、もっと外資とか他に給料の高そうなところに行けただろう」
と尋ねたことがある。
彼は答えた。「外資も考えた。外資か、日本の会社がいいと思った。日立とかこの会社は、日本の会社。だから、選んだ。なぜなら、日本の会社のことをよく勉強できるから。中国に帰ったら 『自分は日本の会社(のしきたり)に詳しい』 と言える。」
目から鱗。その中国人である彼は、ことあるこどに
と言っていた。