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自己暗示

  私は、入社当時より将来、海外 (特にアメリカ) で働いたり生活したりしたいと考えていた。その 「夢」 は、今まさにかなっていると言える。

  でもどうしてここまでこれたのか、今まで私も理由がわからなかった。漠然とその答えを出すなら、「常日頃それを強く思っていた」 に過ぎない。

すごいぞイチロー

自ら挑んだ大リーグでの新記録樹立という偉業を成し遂げた
イチロー。本当にすごいと思う。

2004/10/03 asahi.com より抜粋

年間最多安打を記録した試合後、日本の報道陣とのやりとりは約40分続いた。
普段は口数の少ないイチロー選手が、晴れやかな笑顔で、自らの偉業や今後の
目標について語った。記者会見などでの一問一答は次の通り。

――「257」という数字をとんでもないところと話していたが

今思うのは、小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だと感じている。

すごいなイチロー。小さな努力が大きな成功につながる…か、平易な言葉も偉業を成し遂げた彼が言うからこそ本当に重みがある。

――届いた実感は?

(今季)やっている間は常にそこを越していくわけだから実感はないが、こういう数字は、時間がたってとんでもないことだと気づくんだと思う。

本人は、コツコツ仕事をしていたのだから、確かにそうなんだろうと思う。

――周囲に期待されて苦しかったのでは

やっている間にプレッシャーから解き放たれるのは不可能。背負ってプレーするしかない。でも、ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーが僕にとってはたまらない。これが勝負の世界にいる者のだいご味。それがない選手ではつまらない。

オリンピックの選手とかもそうだけど、よく思うのはプロというのは、「プレッシャー込み」 でプロなんだと思う。それは、松井を観ているとこれは言葉に表されなくてもひしひしと伝わってくるものがある。
同じプロのイチローもそうだったんだな。

 ――257安打を意識し始めたのはいつか

周囲が教えてくれた。具体的にイメージするようになったのは200本を超えてから。普通にやっていけばできるかもしれない、と考えた。

この「普通にやっていれば」というのが素晴らしい。

――この記録はもう破られないと思うか

84年間なかったのだから簡単ではないと思う。10年間はやめてね、という気持ちはある。でも、破られることもあるでしょう。願わくは(更新する打者は)自分でありたいと思います。

イチロー、カッコイイ、最高にカッコ良すぎる。

――新記録の原動力は

野球が好きだということですね。それと、今季に限って言えば、チームが勝てない状況が続き、そこに身を委ねることができなかった。プロとして勝つだけが目的ではない。プロとして何を見せなくてはいけないか、を> 忘れずにプレーした。

プロは、「プロとして何を見せなくてはいけないか」という気持ちは忘れてはいけないらしい。それがプロなんだ。。

――打率4割への挑戦はどうか

打率はコントロールできてしまう。「野球が好きでグラウンドに立ちたい」というのがぼくの原点。打率を目標にしたら、打席に立ちたくなくなる可能性がある。それは本意ではないから、目標にはできない。

なるほど・・・あくまでもホンモノを目指すということか。
妥協はない。

――自分にとって、満足できるための基準は

少なくとも誰かに勝った時ではない。自分が定めたものを達成した時に出てくるものです。

(10/03 08:57)

記録を達成したイチローの、自身の言葉も記録的な重さ!

2004/10/02 asahi.com より。

「こちらに来て強く思ったのは、体が大きいことに、そんなに意味はない。僕は大リーグに入ってしまえば一番小さい部類です。でも、こういう記録を作ることもできた。大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性をつぶさないで欲しい。自分自身の持っている能力を生かせれば、可能性はすごく広がると思う」
(10/02 21:26)

シリコンバレーに来てからは、アメリカという国は、「世界選手権」 だと思った。もちろん、白人としてのアメリカ人もいるのだが、シリコンバレーでは、それこそ国を捨てて来ているような中国人やインド人は、とても優秀な人ばかりだ。鎖国を 300 年以上も続けて来た日本と違って、その国の自体も移民によって建国されたアメリカは、もともと移民に対して寛容な国だ。

そのアメリカで日本人であるイチローが、アメリカを象徴するベタベタな文化=野球で、記録を作ったことは、日本人社会に非常に大きなインパクトがあったと思う。

2004/10/02 asahi.com にはこうもある。

日本の首位打者が海を渡ったのは01年。「どんなに実績があろうとも、『なめんじゃねえぞメジャーを』『なんぼのもんじゃい』という雰囲気をすごく感じた」

こっちに来て働くようになり、これは私も強く感じた。

「お前が日本でどんなことをしてきたか俺たちは知る由もないが、お前の実力は実績で示すことだな」

チームで仕事を行い、責任が分散される仕組みが確立されている日本と違って、個人主義が徹底して仕事まで個人の能力が要求される (特に私の場合は研究する仕事だから) 周りは本当にそう言ってるみたいだった。

さらに自身の記録を塗り替えたイチローはこう話す。

2004/10/04 asahi.com より抜粋

3年ぶりに首位打者を獲得した。感慨をこう話す。「自分がどれだけできても、それ以上にやった人がいたら一番(首位打者)にはなれない。改めて奪い取った。そんな感じです」
他人の記録を追うのは簡単。でも自分の記録を追うことは大変なこと。だってそれが自分の限界だから」

こういうことを言うのは誰でも簡単に言える。でもその言っているのが記録を達成したイチローだからこそ、この言葉に意味が出てくるのだと思う。日本人は、自分の子どもにイチローのすごさを彼の言葉を引用しながらなんで彼はすごいのかを徹底的に教えて行くべきだな (自戒を込めて)!!。 それが次のイチローにつながると思う。

目線は低く、目標は高く。

かつて 同僚 だった中国人の彼からのウンチク。

  1. 開発はやってはいけない。
  2. プロジェクトは自分でコントロールできること。
  3. 目線は低く、目標は高く。

1. は、私が取り組んでいたケータイ向けのプロジェクトでの教訓。(一般に IT の大企業は) 開発すると各スタッフのコストが高過ぎて、この分野ではベンチャーには勝てない。

2. は、やりたいことがあるのにコントローラブルでないプロジェクトは失敗する。

3. は名言だろう。お客様や、チームのメンバーの目線に合わせて行動する。
しかし目標は限りなく高く!!

営業の心得

「1 聞いて、10 理解して100 しゃべる」

1992年、ISID(電通国際情報サービス)の就職試験で女性社員が話していたのを聞いて。
(私はこの会社は、試験で落ちました。)

キッペスの教え

Waldemar Kippes

ドイツ生まれ 司祭 ロヨラ大学(シカゴ)文学博士
臨床パストラルケア教育研修センター 所長
上智大学、南山大学、聖アントニオ神学院等 講師歴任

学生の頃、 「人間学」 というものがあった。

人間学って何するの?って感じだが、私のクラスでは上のキッペスという教授(神父)がこの授業の担任だった。授業がはじまったらすぐに部屋の鍵を閉めるから遅刻できない。授業は午前中だったが、12時に教会の鐘が鳴ると 「祈りましょう」 と、どんな場合でも授業を中断して祈る。

人間学なのに 「必修」 ということは、落とすと卒業できないということだ。こんな厳しい授業を落として2年続けてやりたくない、と、みんな出席だけはしていた。

キッペス自身もイヤな奴だった。が、あるときキッペスが 「私たちはドロボウも責めることはできない」 と言った。
私は 「えっ、なぜ神父のくせにそんなこと言うのか?悪いことしてなぜ許せるのか!?」 と心の中でつぶやいた。
キッペスは云う、

「もし私たちがドロボウと同じ環境で育ったら、 同じことをしていたかもしれない。」

私には目からウロコだった。「罪を憎んで人を憎まず」 ということだろう。これは非常に簡単な言葉だがこの言葉の意味は逆に言うとキッペスが説明した通りということだ。

テロリストはテロリストになった背景がある。人間誰しもテロリストや犯罪者として生まれてきたわけではない。犯罪を犯すようになったのは育ってきた環境によるところが大きい。または、そうでなければ脳に障がいを負って生まれてきてしまったということだと考えている。これはこれで育つ環境とは別の問題で、考えなければいけない点は山ほどある。

私もテロリストと全く同じ環境で育ったら今頃テロリストになっていたかも知れない───学生の頃、あんなに嫌いだったキッペスの教えは、今でも私の心に刻み込まれている。