日曜日の人生設計(最終回) 橘玲(たちばなはじめ)
―もうひとつの幸福のルール―
日経 2003/11/30(日) より無断転載
(前略、中略)
幸福のかたちに諸説あっても、「自由」が幸福の条件であることに異論のある人はいないだろう。奴隷が幸福
になれないのは自由を奪われているからだ。私達は自分自身の支配者であり、誰もその権利を侵すことはできない。
ヒトは一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく。この世に生を受ける前に親や社会を選ぶことは
できない。ほとんどの日本人は、莫大な財政赤字を抱え、少子高齢化に苦しむこの国とともに二十一世紀初頭を生きていくことになるだろう。そう考えれば、人生の大半は運命と呼ぶほかないものによって、あらかじめ決めら
れている。だからこそ私達は、残されたわずかな自由を大切に生きるのだ。
私はこれまで繰り返し同じことを述べてきた。
人生を経済的側面から語るなら、その目的は何ものにも依存せずに自分と家族の生活を守ることのできる経済的独立を達成することにある。
自由とは人生に複数の選択肢を持つことだ。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存し、そこにしがみ
つくしか生きる術がないのなら、新たな一歩は永遠に踏み出せないだろう。
独立のために一定量の貨幣が必要なら、与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に到達することで人生はより豊かになる。経済合理的に生きる意味はここにある---。
自由や富が幸福な人生を約束する訳ではない。それは未知の世界を旅する通行証のようなものではないだろうか。いつの日かその扉をあけてみたいと、私はずっと夢見てきた。
「ゴミ投資家シリーズ」の一連の本の中で書かれている、一貫した主張である。
ところで、今年もめげずに国際人材公募に応募して 1次面接は通ったものの、「遅くとも月曜日までに知らせる」
という、先週末に受けた取締役との最終面接の結果がまだ来ない。受かると 1年アメリカに行けるキップを手に入れられるだけにそう簡単には決まらないのだろうが、上のエッセイを読みながら自分のしていることは何か、自問自答するのである。
日曜日の人生設計 (39) 橘玲 (たちばなあきら)
―もうひとつの幸福のルール―
日経2003/11/23(日) より無断転載
大学の図書館で奇怪な哲学用語に満ちた分厚い本を手にしたことがある。暗号の如きその書物はほとんど理解不能だったが、「人は常に他者の承認を求めて生きている」と述べたくだりはなぜか記憶に残った。
それから十年後、バブルの最盛期に出会った地上げ師は「あんたもダニやウジ虫以下の人間になればカネし
かないとわかるさ」と言って、夜ごと銀座の高級クラブで花咲爺さんのように一万円札をばら撒いていた。彼は薪の代わりに暖炉にくべるほどの札束を持ち歩いていたが、大して幸福そうには見えなかった。その時ようやくヘーゲルの言葉が理解できた。彼はカネで買えるすべてのものを持っていたが、他者の承認だけは得られなかった。風俗業や高利貸しを濡れ手に粟の商売だと批判する人がいる。だが、参入障壁が低く、利益率の高い商売が目の前にあるのなら、悪口を言うより自分で経営した方がずっといい。優秀な企業家は成功を手にし、業界が健全化すれば消費者にも利益をもたらすだろう。
儲かる商売に参入者が少ないのは、それが他者の承認が得られない汚れ仕事と見なされているからだ。欲望という底なし需要に対して供給が限られれば、当然そこに超過利潤が生まれる。違法だから儲かるのではなく、その背後には経済的な必然がある。
他者の承認を得る最も簡単で確実な方法は、自分の価値観を他者と同じにすることだ。女子高生の間で流行したルーズソックスのように、成熟した大衆社会では、人々は他人が望むものを手に入れようと行動する。不格好な靴下は、マイホームやマイカーや学歴や肩書きなど、私達の価値があるとされるどんなものにも置き換えられる。そこでの個性とは、傍からみればどうでもいいような微細な差異を競うことだ。
ヘーゲルは国家という共同体から承認を得ることで人は幸福になれると説いた。ブランドの魅力は価値観を共有する世界規模の消費共同体に参加できることにある。携帯電話の出会い系サイトが人気を博するのは、実生活では望み得ない承認を仮想空間の共同体が与えてくれるからだろう。忠誠の対象は違っても、誰かに認められたいという人間の行動は変わらない。
ところで、あなたの欲望が他人の欲望であり、あなたの幸福が他人の幸福であるとすれば、あなたはいったいどこにいるのだろう?
豊かな社会では「自分探し」の旅が流行するが、大抵の場合、探すべき自分は最初から存在しない。
人は誰からも承認されない人生に耐えることはできない。一方で、他人の欲望を生きる人生は破綻を免れないだろう。大衆の欲望は無際限で、渇きは永遠に癒されない。幸福のかたちを見失う理由は、たぶんここにある。
このコラムは、「ゴミ投資家シリーズ」の作者のひとりである橘氏が日経日曜版に連載しているものである。毎回、内容は非常に示唆的である。私は注目すべき記事が日経に載っていると切り抜いて保存しているのだがこのコラムの切り抜き率は非常に高いと思う。
今日 (2003/11/23)、自腹※で TOEIC を受けてきたが、その行為も彼の言う承認を求める自分があるのでは、と思った。いや、まさにその通り。
※…会社では、年 2 回社内で TOEIC がある。
私からいうと 「受けさせてくれる」。以前は 「受けさせられる」 だったが、今は個人で受けると 1 回の受験料は 6,615 円だということを深く認識しているので、「受けさせてくれる」 という意識である。
2003/10/20 ZDNet より。
しかし、ITの歴史の中では 「best」 のテクノロジーが生き残ってきたとは限らない。
「best」 テクノロジーの最大の敵は 「good enough」 なテクノロジーなのである。
フレームワーク。日本語で「枠組み」のことである。なにか作業をしたり新しいことをはじめる時には、その分野のフレームワークを知っていると効率的である。言い換えればテンプレートであり、ひな形であり、つまりは過去から積み上げたノウハウから共通部分を抜き出したものである。
私が今いるカイシャに 10 年勤めてきて、この会社の悪い面はあまりにも多すぎるのでここでは割愛するとして、得たものとして述べたいと思う。
もし、自分の子どもがこの内容を理解できる年齢になってしかも本当に理解できるのなら、教えてあげたい(が、きっとそれは無理だから独り言メールにしておこう)。
(QCストーリー)
QC とは、Quality Control クオリティ・コントロールの略で、訳すと「品質管理」である。主に製造業=メーカーが取り組んできた品質改善活動のことであり、海外に広く知れ渡った日本語「カイゼン」はここから来ているともいえる。ゆえに、日本の高度成長の源泉ともいえる。
具体的に何かというと、職場単位でグループ=小さなサークルを作り、どんなに小さなコトでもいいから、職場で問題になっていることを解決するにはどうしたらいいか考える、というものである。3ヶ月~6ヶ月くらいで成果をはかってみる。カイゼン内容は、聞いて驚くが「呼び出し音 3 回以内に電話に出るのにはどうしたらいいか」とか「会議の時間を減らすにはどうしたらいいか」などのテーマから、もっと重いテーマまで様々である。短期間で活動してそのカイゼン効果を狙うので、自ずと小さなテーマとなる。活動した結果はサークル同士で発表しあって、優秀な活動をしたサークルは「全国大会」に出場したりする。
私が勤めている会社は、私が入社した時は当時の社長がこの方法をソフトウェアの世界に持ち込む、として全社をあげて取り組んでいた。
正直言ってこの取り組みはソフトウェアの世界にはあまりなじまなかったと、誰もが考えていたと思うし、今はほとんど QC などというコドバは聞かなくなったので、やはりなじまなかったのだろう。
しかし、私は 「QC ストーリー」 なるものは、ふだん生活する上でも非常に役に立つものではないかと常日頃から思っている。気が付けば何か問題があったら私の頭の中はすぐに QC ストーリーのフレームワークに沿って考えるようになっていた。
たとえば、授業を聴いているのにテストでいい点が取れない、なんていう悩み(上でいうテーマ)にも適用できる。
(企画書の書き方、盛り込む要素)
これは、今まで 10 年会社に勤めてきて、6 年目くらいで当時の課長代理の先輩社員に企画書の作り方を鍛えられたものから学んだことである。
以上が、担当者レベルで用意できればよいと思う。
は、課長代理レベルだと必須。
このたった 8 つのノウハウは教えてくれる人がいないとなかなか身につかないだろうと思うし、人間とはそもそも自分にとって 「よいこと」 は、人に教えたがらないものだ。
しかしこの 8 つのノウハウを理解した上で盛り込んだ企画書を書けば社内ではだいたいプロジェクトとして通ると思う。
ちなみに企画書はマイクロソフトの 「PowerPoint」 というソフトで書く。昔で言う OHP を PC の世界に持ってきたものと思えばよい。
マイクロソフトオフィスは Word と Excel が有名で、PC を買えばほとんどの場合付いてくる(オフィスパーソナル)が、PowerPoint はオフィスプロフェッショナルじゃないと付いてこない。企画書を書く上でこの 「パワポ」 を使いこなせる、というか、やはり 「絵心」 のある人は強い。システムエンジニアに求められるものとして、技術だけでなくそれをアピールする力だ。マイクロソフトのビルゲイツが世界一のお金持ちになれたのもこのソフトのおかげだ。彼は技術力もあったが、それをアピールする力=マーケティング力に長けていたのだ。悪い言い方をすれば人をだます力だ。
この企画書を作るソフトは、Excel が表計算ソフトと呼ばれるように、一般的には 「プレゼンテーションソフト」 と言う。マイクロソフトは OS 分野においてウィンドウズでかなりのシェアを持っているが、それでも 100% のシェアではない。世の中には Mac OS もあるし、Linux もある。しかしながら実はこのプレゼンソフトの分野で彼らはほぼ独占だと思われる。
前にも書いたかもしれないが、マイクロソフトのマーケティングとは、まだできてもいないソフトを、あたかもできたソフトのように 「プレゼン」 し、コトあるごとに発表してきた。
ソフトの開発スケジュールを 「ロードマップ」 と呼んでいるが、それらロードマップに書かれたスケジュールを彼らが守ってきたことはほとんどなかったはずである(2000 年前までは。最近は心を入れ替えて企業イメージを良くするのに必死になってるように見える)。
たとえば、93、94 年当時ビルゲイツが 96 年にリリースすると豪語していた次期ウィンドウズコードネーム「Cario」は、96 年になっても出てこなかった。それは 4 年遅れの 2000 年になって 「ウィンドウズ 2000」 として発売されたが、結局 Cario の計画とは違ったものになっていた。このように公約をまったく守ったことがないマイクロソフトだが、だから嫌われる、と同時に、なぜか人々はだまされてきたのだ。これは PowerPoint のマジックだ。PowerPoint のきれいなスライドに書かれたまだ企画段階のソフトを誰かが「スライドウェア」と呼んでいるのを以前ウェブでみたことがある。これは本当に言い得て妙だ。
閑話休題、上の 8 つのコツをつかんでから 1998~2003 年の間に私は、モバイル、CRM、ケータイ公式サイト、プレゼンスシステム と、だいたい 1 年くらいおきにほとんど私が企画書を書いて、それらは実際にプロジェクトになってきたから間違いない。
ちなみに一番最初のモバイルのプロジェクトはプロジェクト化したものの実際は私ひとりのプロジェクト=ひとりプロジェクトで予算がつかず、ゼロ円。他の協力してくれる担当からソフトを買ってもらったりしていた。
今は、担当で億単位のお金がついていて、モノが自由に買える(あの iMac までも)ほどになり、思えばずいぶん進歩したな、と思う。