みなさんはウィンドウズの「タスクバー」をどこに置いているだろうか。
タスクバーとは「スタート」ボタンがある横に長い帯のことだが、デフォルト (工場出荷時のまま) だと、タスクバーは画面の一番下にある。
実は、タスクバーは画面の右にあった方が、慣れれば使いやすい。
なぜなら、PC の画面は縦よりも横に長い一方で、横書きの文章は縦方向が長い方がよい。そのため画面の一番下にあるタスクバーは本来邪魔である。なのでタスクバーを下よりも右に置いた方が限られた画面を利用する効率がいいのである。
また、ほとんどの人は右利きである。「左から右」 にマウスを移動させる方が楽である。厳密に言うと、左上から右下にマウスを移動させる方がよい。ということは、マウスを操作する場合画面の右の方をクリックした方が使いやすい。このことは、Mac とウィンドウズのダイアログボックス 「はい」「いいえ」 ボタンの位置の違いに表れている。
ウィンドウズの場合は常に、
だが、Mac の場合は常に
の並びになっている。
PC は印刷されたものと同じようで実は違う。印刷物では 「はい」「いいえ」 の配置の方が人間の思考から言ってわかりやすい(なぜなら横書きは左から右に書くから)が、操作主体のコンピュータでは、Mac の方がマウスの移動がしやすい=操作がしやすく作られているのである。
1992年、ISID(電通国際情報サービス)の就職試験で女性社員が話していたのを聞いて。
(私はこの会社は、試験で落ちました。)
日経2003/04/19朝刊
本社コラムニスト
西岡幸一
Waldemar Kippes
ドイツ生まれ 司祭 ロヨラ大学(シカゴ)文学博士
臨床パストラルケア教育研修センター 所長
上智大学、南山大学、聖アントニオ神学院等 講師歴任
学生の頃、 「人間学」 というものがあった。
人間学って何するの?って感じだが、私のクラスでは上のキッペスという教授(神父)がこの授業の担任だった。授業がはじまったらすぐに部屋の鍵を閉めるから遅刻できない。授業は午前中だったが、12時に教会の鐘が鳴ると 「祈りましょう」 と、どんな場合でも授業を中断して祈る。
人間学なのに 「必修」 ということは、落とすと卒業できないということだ。こんな厳しい授業を落として2年続けてやりたくない、と、みんな出席だけはしていた。
キッペス自身もイヤな奴だった。が、あるときキッペスが 「私たちはドロボウも責めることはできない」 と言った。
私は 「えっ、なぜ神父のくせにそんなこと言うのか?悪いことしてなぜ許せるのか!?」 と心の中でつぶやいた。
キッペスは云う、
私には目からウロコだった。「罪を憎んで人を憎まず」 ということだろう。これは非常に簡単な言葉だがこの言葉の意味は逆に言うとキッペスが説明した通りということだ。
テロリストはテロリストになった背景がある。人間誰しもテロリストや犯罪者として生まれてきたわけではない。犯罪を犯すようになったのは育ってきた環境によるところが大きい。または、そうでなければ脳に障がいを負って生まれてきてしまったということだと考えている。これはこれで育つ環境とは別の問題で、考えなければいけない点は山ほどある。
私もテロリストと全く同じ環境で育ったら今頃テロリストになっていたかも知れない───学生の頃、あんなに嫌いだったキッペスの教えは、今でも私の心に刻み込まれている。
週末実家に帰り、74歳の父と話す機会があった。イラクの戦争について、
「日本の今の状態は第2次世界大戦に突入する前に似てはいないのか?当時はどうだったんだ?」
と聞いたところ、「いや、違う」と言う。
「では、どういう状態だったのか?」
と尋ねるとすかさず、
「今の北朝鮮が(当時の日本と)まったく同じだ。だからアメリカと戦争した。私は生き証人だから間違いない。」
と答えた。さらにこう言った。
「私は小さい頃学校で立たされたことがある。先生が天皇陛下万歳と言えと教えたから、『その前にお父さん、お母さんに万歳じゃいけないんですか?』と言ったら『お前は非国民だ』と言われて、立たされた。」