素晴らしい。彼は死に対しても正直に向き合っている。
以前より私は死に対しては、以下のような考え方を参考にしている。
ラズマス・ダーウィン(ダーウィンのおじいさん)は、有機体的幸福というのを考えた。
生き物の幸せは、個体の自己放棄、つまり死ぬことである。むしろ生き物の使命は、死んで他者に道をあけてやることである。
自由競争であろうが都市間競争であろうが、ナチュラル・セレクションによるサバイバル (生き残り) は、実のところ 「死に残し」 の陰画にすぎない。 《生命》 保険みたいなもので、死んでから得られるので、本人には得られない。この死が残すのは 「隙間(エンプティ・スペース)」 であって、資産でないが(が、有限の食料・資源からの引算を考えれば同じこと)。
ジョブズも言及しているように、死は誰もに平等に与えられる。決して逃げることはできない。同時に私は誰もがこの世に産まれて与えられた使命があると思う。
天国に行きたいから死ぬのではない。その死を迎えるまでに、与えられた使命を粛々とこなすのが生だと思う。
日本人であれば誰もがこう考えると思うのは当然だと思うのだが、本当にそうなんだろうか?こう考えてみてはどうだろう。
前回の参院選挙では、私は渡米したばかりだったので、投票できなかった。外国に3ヶ月以上住まないと在外投票権が得られなかったからである。
しかし今回、調べてみたら!また投票できない!!(@@;
というのは、
っておいおい、2005/9/11 に間に合わねーじゃねーか!!このインターネット・ドッグイヤーの時代に、2~3 ヶ月かかるとは何事か!わざと投票できなくしてんじゃねーの?と勘ぐりたくなる。海外にいる日本人の有権者って56 万人ってさっきどこかのサイトに書 いてあった気がする。海外は日本のように娯楽がないから選挙も楽しみのひとつなのになぁ!うむむ
で、もはや日本に住民票がないのに小選挙区はどうなるのかと思ったら・・・
おいおい比例だけかよ! (まぁそれは仕方ないか)
というわけで、これを読んでいるみなさん、私たち (私と妻で投票できないものが 2票もある) の分まで、投票しに行ってきてください。そして、選挙に行こうかどうか迷ってる人には冒頭の文言を。この世の中には、投票したくてもできない人がいることをお忘れなく。忙しいというのは理由になりません。郵便で不在者投票できるんだから。今まであった選挙には全部投票しに行ってたのになあ。悔しいなぁ、、
P.S.
1 年前の参院選挙のときはイラク派兵が話題になっていたのに、今回は影も形もない。郵政だけに焦点が行くが、1 年前、みんなが関心を寄せていたことは、1 年経てばどうでもいいのか?その間に (というかつい最近) エジプトやイギリスでテロが起こったぞ。
外付けの HDD を買ったことがある人ならわかると思うが、買ってきたばかりの HDD をウィンドウズや Mac で容量を表示させると、カタログ値よりも実際にはHDDの容量が例外なく少ない。大容量になればなるほど誤差が大きくなり、期待していた容量よりも少ないという現象が起きる。
以下、長文につき最初に結論を述べておこう。─── それはメーカーと OS との間での表記の計算方法の違いだった。私の見解では誇大広告ではないかと思う。
たとえば 160GB の HDD を買ってきた場合、容量が空の状態で 149GB である。11GB はどこに行ったのだろう?
これはなぜなのだろうか?私はずっと、容量が大きくなればなるほど HDD 自体を管理する領域が増えていき、その分減るのだと思っていた。
が、しかし!!! それは単なる私の思い込みだった。今日、その真相を発見した。
答えは、計算方法の違いだそうだ。つまり、メーカーが謳うカタログ値はデシマル(10進数)表記
だったのだ。これは、バイト容量を 1GB = 1,000,000,000 バイトで計算したものだ。しかし、実際にはコンピュータはバイナリ(2進数)で表記するため、1GB=1,073,724,841 バイトで計算している。
デシマルで計算すると、単純に計算は以下のとおりとなる。
160GB(表記)= 160GB バイト = 160,000,000,000 / 1,000,000,000 バイト
一方でバイナリで計算すると、
160GB(表記)= 149GB バイト = 160,000,000,000 / 1,073,724,841 バイト
となり、両方とも計算は合っているのだが、バイナリ表記は計算時の分母が大きくなるため、カタログ表記よりも少なくなるのだ。
でも、これって・・・・・・・・・
消費者をなめてませんか?広告の不当表示だと思う。以前 ADSL の速度が誇大だとの話があり、公正取引委員会が是正措置をとったが、この HDD の容量表記も同じレベルであると思う。メーカーは都合のいいようにデシマル表記を使っている。
HDD と同じ記憶装置である 「メモリ」 の方は、1GB のメモリの場合でも、カタログはデシマル表記でも実際はバイナリで実装されている。HDD とは逆に、メモリの場合は消費者は買ってきた容量よりも余裕があるので、常に嬉しい思いをしているという例もある。
では、なぜ今まで話題にされなかったのだろう?それは、技術者の私でさえ、今頃気づいたくらいだし、真相を知らないだけなのだろう。公正取引委員会にチクったら面白いことになるかも。
以下に、参考までに主な容量の対応表を載せておく。
デシマル
バイナリ
80 GB
74.51 GB
100 GB
93.13 GB
120 GB
111.76 GB
160 GB
149.01 GB
180 GB
167.64 GB
200 GB
186.26 GB
250 GB
232.83 GB
300 GB
279.40 GB
320 GB
298.02 GB
リンクは「Why is my drive displaying a smaller than expected capacity than the indicated size on the drive label?」 (Western Digital)
教科書には How are you? と載っているが、ほとんど聞かない。How you doing? か、How are you doing?。Fine. で返す。相手は Good. と言ってきて挨拶が終わる。たぶん、我々日本人は言われる方が主だろうから Fine. だけ返そう。
映画「モンスターズインク」の主人公サリーも出勤のときに How you doing? というシーンがある。
英語が話せないと、ネイティブと話すときに緊張してしまう。だから、まずは自分が英語を話せないことを相手に伝えておくと相手もわかってくれる。要は、「開き直る」 ことが重要であり、これは 「開き直り」 の表現である。ちなみに、この表現は初めての海外出張で一緒に行った部長が連発していて盗んだ。もちろん、I can't speak English very well. でもいい。
英語が話せない以前に、日本人は英語が「聴き取れない」。最近の研究では脳の、言語に対する作用する部分が英語と日本語とではまったく違うということがわかってきている。これではムリもない。私見ではあるが発音している音の周波数が英語の方が広いと思う。言い換えれば、「音階が英語の方が広い」のである。今の会社に、結構きれいなおばさん^^;(失礼) がいるのだが、その人、英語だと基本的に声が低くなるように感じる。正直ダミ声っぽい。日本語で話すときは声の調子が高くなってる気がする。私も最近英語で話すときは声を低めにした方が話しやすいのに気づいたら、彼女の英語と日本語の話し方の違いがわかってきた気がする。
英語は 「イントネーション」 があるから、Oh! that's wonderful!! と言うのと、I have a lot of work to do と言うのでは、声のトーンがまったく違うのだ。
2. で、「ゆっくり話してくれよって言ってるだろおねーちゃん!!」と心の中でも思っても、ネイティブが日本人がわかりやすいように単語をひとつひとつ区切ってしゃべってはくれない。だから、聴き取れなかったときはどういうかというと、「エクスキューズミー?」 と、最後を尻上がりに言うのだ。または、「アムソーリー?」 と、これも尻上がりで言う。
本来は自分が悪くて聴き取れなかったときは I'm sorry? と謝る調子で、こちらを使うのだそうだが、私は全部 Excuse me? で通している。
それでも聴き取れなかったら、電話とかで何回も Excuse me? を連発するとこちらも相手もストレスが相当溜まってくるので、言い方を変えよう。これらも尻上がりに言う。Say that again? は、「セイザラゲン?」 と発音する。
正直 I can't follow you なのか I couldn't follow you なのかどちらが正しいのかわからないが、とにかく相手の言ってることがわからないときに言う。電話では何度言われてもわからない言葉はわからないものだが、そしてまた 4. に戻るのだ。私は5回聞き返したことがある。I don't understand を言えるようになったら、I don't understand what you're saying. と言えればたいしたものだ。 「アイドンアンダースタンド ワッチューアーセイイング」 と発音する。
日本語、英語、言葉が違っても、自分が何をしたいのかの意思を相手に伝えることが最も重要なのだ。日常生活で自分の要求を伝えるシーンはたっくさんある。 I want to ~ でもいいが、want の意味は 「欲する」 なので、I'd like to よりも、「絶対にしたいんだ!」 と、主張するような印象を与える気がする (間違ってたらごめんなさい)。
上と似ているがこの言葉をある意味 「命令」 に近い。自分の言ったことを他人がやってくれるからだ。たとえば、メールを送って欲しければ、I'd like you to send me email. とか。もちろん I want you to ~ ということもできるが、これは目上の人が目下の人に対して言うような感じ?<あくまでも私の印象
とにかく I'd like to ~ / I'd like you to ~ を使ってれば間違いない。
ズバリ 「ワカリマセン」。 同じ 「わからない」 の表現にも I don't understand があるが、understand はもともと 「理解する」 という意味だから、これは 「理解できない」 という意味になる。
しかし、「彼は何時にくるのかな?」 とか、「君はメールを出したの?」 とか聞かれたら、同じ 「わからない」 でも、I don't understand は使えな い。それを言ったら 「君の言ってることがよくわからない」 ととられても仕方がなくなってしまう。質問の意味がわからないときは I don't understand (your question) でいいが、質問の答がわからなかったときは I'm not sure. という。発音は 「アイムノットシュア」。
会話の流れの中で相づちを打つには?「わかった」とか 「なるほどー」 とあいづちを打つ表現は、「アイシー」
「サウンズグッド」 はよく聞く。意味は 「いい感じ」
いろいろこちらから話してみて相手に自分の英語をわかってもらえなかったら、言いたいことを伝えるために、Anyway, I'd like to~ と言ってみよう。「とにかく、私は~がしたいの!」 という感じ。
ちなみに、日本人は学校で習うのは anyway くらいしか出てこないので知らないと思うが、anyhow というのもある。意味は anyway と同じである。こっちに来てから職場の人が打ち合わせでよく使っていたので電子辞書で調べて初めて知った単語。
「そんなようなモノ」。 a kind of ~ も使える「~みたいなモノ」。すごくあいまいっぽくて、日本人向けでいい。でも、ガイジンもよく使う。
質問するときには May I ask で始めてみよう。昔ズームイン朝でウィッキーさんがさんざん言っていた。
May I ask if ~ の後には、普通の文がある。May I ask if I can take this one? (これをとってもいいですか?) May I ask where the restroom is. (トイレはどこにありますか?)←文法的には正しいが、私は May I ask....(と言っておいて間を作り、そこで聞くべき質問文を頭の中で考える) Where is the restroom? という風に言っている。要は May I ask... は質問するときの 「つなぎ」 の言葉として使えるのだ。
「ソーファー」 は、私の口癖になってる言葉。「今までに」 「今までのところ」 という意味。現在完了と一緒に使う。 I have finished my work so far. と言えば、「今まで(今のところ)に自分の仕事は終わってる」という意味。 So far, so good. は、「今までのところ、いい感じ」 という決まり文句だが、私は今までに使ったことがない。
→これ自体を英語て言うと「I have never used that phrase so far.」(私は今までにそのフレーズを使ったことがない)
try は、「やってみる」だが、I will try to ~ で、「(ほんじゃあ)~をやってみるよ」という意味になる。これは日本人の思考にあってる表現だと思う。例えば、電話をサポセンにかけてるときなんかは、何か問題があるからこっちから電話してるわけで、サポセンの人に「~やってみてはどうですか?」と言われたら、「うん、わかった。やってみる」 と言いたいだろう。そんなときに、I will try to do what you said. (あなたが言ったことをやってみる)という感じ。
他にも、「~したんだけど、ダメだった」 というのは、I tried to do that, but I couldn't. (それをやってみたが、できなかった)といえばいいだろう。サポセンが学校の先生に置き換えても同じ。学校の先生から子どものことについて「~した方がいい」 と言われたら、We will try to ~ とか答えればよい。
「ゴナ」 は、going to の口語形。くだけた表現なので私はまだ使う勇気がないが、絶対に知っておくべき単語だ。なぜなら、すごくよくみんな言うからだ。少しフォーマルっぽい場所、たとえば会社の会議とかでもよく耳にするから、超フォーマルでない限り通用するのかも知れない(もちろん、目上の人に対しては going to と言うべきだと思う。英語は敬語がないとよく言われるが、使い分けは重要だと思う)。It's gonna be ~(イツゴナビー)は、「~じゃね?」 みたいな感じだと思う。
こないだアップルストアに言ったら、「What I'm gonna do for you is...」 (ワライゴナドゥイズ)と言っていた。これの意味は、What I am going to do is... なので、「私が君のためにしようとすることは…」 つまり、「これから私は(君のために)~をするね」 「君のために私ができることは」 というニュアンスだ。
「ガラ」 (なぜガラと言うかは後述) 「ワナ」は、それぞれ got to、want to の略。特に、have (has) got to = must なので、I've gotta go. は、I must go 「行かなきゃ」 となる。実際の会話では、I gotta go (アイガラゴゥ) となる。wanna は、私は使ったことは一度もない。
英語において、日本人としてリスニングが苦手なのは誰もが感じるところだと思う。少しでも克服する手だてはあるのか?私は、「ラリルレロ発音」を提案する。英語で 「-tt-」 や 「-ity」 が含まれたつづりを見つけたら、その部分をすべて「ラリルレロ」のいずれかにしてしまえば良い。例を挙げると、以下の通り。
※ということで、「良くなる」は、getting better (ゲりング ベらー/またはゲりンベらー)いつもこれを思い出そう。
little (りる)が言えるようになったら、a little bit という表現を覚えよう。発音は、(ァりるビッ)最後の 「ト」 は、慣れてきたら軽く添えるようにちゃんと言うようにすること。 「ちょビット難しい」→ a little bit difficult
応用。上の 「ワライゴナドゥ」 という発音は、どう考えても中学生の教科書に出てきそうにない。日本人なら 「ワット・アイム・ゴナ・ドゥ」 と言いそうだ。だけど、くだけた表現なのにこんなに単語をぶつ切り言ってはダメなのだ。英語を流暢に話すための、そして!なにより、リスニング力を向上させるポイントは、「リエゾン」 なのだ。
では、リエゾンとは?リエゾンは、フランス語によくあるのだが、それはおいておいて、単語と単語をぶつぎりに読むのではなく、ある単語の次の単語が母音で始まっていたら、前の単語の語尾の子音と次の単語の最初の母音を合体させて読むのだ。能書きはいいから、例を挙げよう。
日本でライブドアが騒がれていたので、今更ながらウォール街の DVD を買ってみた。この映画、1985 年だから今から 20 年前。日本ではやっとこの映画で描かれていることにマスコミや社会が興味をもつようになったということだろう。
この映画のラストの主人公の言葉は、私の就職活動のときの各企業への志望動機だった。その後の人生を決める上で大事な言葉だったからいつか正確にこの映画の中のオヤジの言葉を(吹き替えでなく)英語で何て言っていたのか知りたかった。サラリーマンとはいえこの言葉を肝に銘じて今までやってきたつもり。
曰く、
この映画の中で Gecko は云うのだ、
...
I create nothing. I own.
We make the rules, pal. The news, war, peace, famine, upheaval.
The price of a paper clip.
...
You're not naive enough to think we're living in a democracy, are you Buddy?
It's the free market. You're part of it.
「結局はゼロサムゲームなのだ。誰かが勝って、誰かが負ける。金それ自体は失われたり作られたりはしないだろ?それはな、単に魔法のように移動しているように見えてるだけなんだよ。
(絵画を指しながら)
俺はその絵を 10 年前に 650 万で買ったが今なら 6,500 万で売れる。錯覚がホンモノになったって訳だ。それが現実になればなるほど、人々はそれが欲しくて欲しくてたまらなくなる。資本主義の持つ最高の側面だ。
…(ここに、資本主義がもたらしたアメリカの恐ろしい統計数字が入る)
俺は何かを創るわけじゃない。所有するだけだ。
我々がルールを作るんだよ、いいかね、ニュース、戦争、平和、飢餓、騒動…ペーパークリップの値段もな。
… (人々がなんでそれが起こったんだろうって考えてる間においしいところを取るのさ)
でもそんなに神経質に考える必要はないぞ、だって俺たち、民主主義の世界に生きてるんだろ?それが自由市場ってもんだ。そしてお前はその一部なんだよ。」
Gecko が言ってることは、資本主義社会というものを非常に簡潔に、的確に述べている。そして本質が集約されている。一方でオヤジ(前者)の言っていることは対照的だ。Gecko と反対のことを言っているのだ。
重要な点は、資本主義はたいがい(少なくとも日本やアメリカは)民主主義とセットになっていて資本主義はあたかも自らが選んだ道であり、さらに自分自身がその社会システムに組み入れられているということまで述べていることだ。
私はこの映画の中に登場する父親の考え(前者)を好むが、これはどちらが正しいということではない。どちらを信じるかは、価値観の問題であって、個人の信条とか哲学に依存するからだ。
ホリエモンは Gecko の言葉そのものを実践しているのだ。